晩白柚東京譚

東京での時間が夢だったかのように、まるで何もなかったかのように、新たに踏み出した生活の日々はあまりにも淡々と過ぎていく。本当に僕は東京にいたのだろうか。晩白柚東京譚と名付けられた110記事にも及ぶこの日記は、実は晩白柚という男が作り上げた創作物語ではなかったか。ここ熊本の地を歩きながら、時々そんなことを思う。

しかし、後ろを振り向くと、僕と出会い、生活をともにしてくれた人々が大勢立っていて、僕に手を振っているのが見える。僕を送り出してくれているのが見える。連日足を運んだ上石神井のカレー屋の大将Sさん。優しかった新宿ゴールデン街のバーSのママ。僕を叱咤激励してくれた上司の方々。ともに仕事と戦い、ともに浴びるように酒を飲んだK先輩と後輩H。常に遊び相手だった幼馴染A。彼らとの出会いはたしかにそこにあって、今の僕の血肉を構成している。最早、4年前に東京へやってきた頃の晩白柚はおらず、新たな瑞々しさを得た晩白柚がいるのである。

「譚」は「物語」という意味で、永井荷風の小説「濹東綺譚」にヒントを得て拝借したものである。4年前、この日記に「晩白柚東京譚」と名前を付けた時、これからどんな物語が紡がれていくのだろうと胸が騒いだのを覚えている。そして今、僕はこの物語の終局に大きな充足感を感じている。晩白柚東京譚は終わりを迎えるが、晩白柚の物語はこれで終わりではない。次の物語、そしてその次の物語を、いつまでも見守っていただけたら、幸いである。

最後の挨拶

「南九州支部へ異動とする。」

7月3日、辞令交付なり。僕を熊本へ戻す命が下った。

ああ、ああ。終わってしまったのだ。僕は東京で仕事をするために、4年前上京してきた。その仕事が、遂に終わってしまった‥。

この日、送別会が行われた。一次会は係の部屋の中で、二次会は職場近くの居酒屋で。そのあとは僕と2人の係長の3人で新宿に出た。このお二人は、今年の僕の係長Fさんと、去年の僕の係長Hさんである。「お前と飲めるのも最後だから、お前の馴染みの店に行ってやる」と言って、お二人はゴールデン街のSに来てくれた。

夜の2時。思い出話が進み‥気がつくと、隣でFさんは泣いていた。男泣きだった。そんな姿を見て、僕も涙が止まらなかった。Hさんが僕の肩を抱いて励ましてくれた。ママは静かに話を聞いていた。

僕は仕事ができないこともないが、取り立ててできるというほどの人間ではない。平々凡々な仕事しかできず、それを悔しく、もどかしく思うこともあった。まして、僕はこの春、全ての仕事を放棄した、大迷惑な男であった。だが、こうして別れを惜しんで泣いてくれる人がいる。僕の人となりを見て、涙を流してくれる人がいる。これほど有難いことはない。自分がやってきたことはきっと間違いではなかった、そんな風に思うことができた。僕は幸せ者だ‥。

 

I MISSED THE SHOCK

新宿歌舞伎町のはずれにあるゴールデン街。あかるい花園3番街に、Sというとあるバーがある。初めて訪れたのはちょうど今から1年前の、じめじめした梅雨の時期だったと思う。市ヶ谷に本社のある同業の知り合い某氏と飲んでいて、お互いに未だ未経験だったゴールデン街に行ってみよう、ということでふらりと入ったのがSという店である。そのSというバーは5人も座れば満席というほど狭い店内で、物静かな熟女のママ(誰かが「美魔女」と表現したことがあった)が切り盛りしている。

それからしばらくは訪れていなかったが、今年の冬が明けたぐらいから何か思い立ったように頻繁に通っている。ママからはしばしば「もっと若い子がやってるところに行きなさい、若者!」と言われたこともあった。しかし僕は懲りずに何度もお店に行った‥。一体なぜ僕はこの店に何度も通うのだろう?

花の金曜日である。この日、Sで一人で飲んでいたところ、仕事上がりのAがやって来た。0時近くになって、Aを新宿駅に送ったあと、僕はまたSに戻って飲み直した。この日のママはいつもと少し違っていた。僕がビールを一瓶飲み干すと、頼んでもいないのに冷蔵庫からまたビールを取り出し、何も言わずに栓を開けた。そして二人で乾杯をする‥。

それが何度か繰り返されたところで、またママがビールを開けようとするので、「ママ、頼んでないよ」と言うと、「お金いらないから‥」とママは静かに答える。

気づけば4時になっていた。閉店時間を2時間も過ぎてSを出た。それからの記憶はあまりない。僕は西武新宿駅の閉まったシャッターの前で酔い潰れて倒れていて、「ここで寝ないでください!」と駅員に起こされて目が覚めた。

「あなたは乗り越えなければいけないわ」とママは言った。そんなことは十分わかっているのだ。しかし僕は、やはり、ママに何かの姿を重ねているのかもしれない‥。

イシマツとジロウチョウ

ルドルフとイッパイアッテナ」みたいな題名だが、当の主役の猫たちは追々登場する。

今日は昼一から神保町へ赴いた。

神保町へはちょくちょく通っている。しかし神保町が本の町だというのに、古書店の中へ足を踏み入れることはそうそうなく、目当てはこの町のあちこちにあるカレー屋である。

一体何度神保町へ行っただろう。西武新宿線で新宿まで出た後は、都営新宿線に乗り換えて新宿三丁目、曙橋、市ヶ谷、九段下、と通り過ぎ、神保町に降り立つ。いつもはA7出口を出たら狭い路地に入って、「さぼうる」「ラドリオ」「ミロンガ・ヌオーバ」でコーヒーを一杯‥なんてのがお決まりのコースだ。だが今回は違う。A5出口を出て、北へ進むのだ。神保町の有名なカレー屋は一通り訪れたと思っているが、1軒だけ有名どころを逃していた。路地裏に黄色い看板が目印の「まんてん」である。

まんてんのカレーはスパイシーなカレー達とは一線を画している。まんてんのカレーソースは黄土色でドロドロと濃厚で、いかにも昭和の食堂のカレーライスというか、おばあちゃんのカレーといった様相。しゃもじでペンペンと塗り固められた丘のようなライスにダッとソースを掛けるのも、なんとも昭和風で、無慈悲に置かれた透明のお冷グラスとカレー皿が並べば、何か哀愁を誘う雰囲気を醸し出す。

550円の大盛カレーを平らげ、汗を拭いながら店を出た。時刻は13時。病院が開くまで2時間はある。神保町に来るのもこれが最後になるかもしれない‥そんな思いがよぎって、僕は久々に真面目に古書店巡りをすることにした。

とはいえ、神保町の古書店が扱う古書のほとんどは専門書であって、文学の文庫本なんてものはそうそう置いていない。あったとしても、僅かな量が店先のカゴの中に「1冊100円」と無造作に並べられ、長い間日光に晒されてきたのか背表紙がほとんど真っ白になったりしている。

あちこち歩いてみる。どの店にあってもカビ臭い店内を地下まで降りていくのは、まるで大学の巨大な図書館の中を冒険しているような気分にさせてくれる。しかし文庫本はなかなか見つからない。そしてようやく、有名なカレー屋「エチオピア」隣の、これまた文庫本を扱うことで有名な「文庫川村」に辿り着いた。

所狭しと並ぶ文庫本。1冊手に取ってみると、「昭和十二年 第◯版」とか書いてある。戦前の文庫本だ。恐ろしい年月を経て今この棚にひっそりと佇んでいる。悠久の本との出会いは、それを書いた人との出会い、そしてその本を手に取り継いできた人々との出会いを含んでいるかのようだ。僕は、アルベール・カミュ「異邦人」太宰治「斜陽」川端康成「名人」を1冊100円で購入した。どれも昭和五十年代の版である。僕が生まれる前から誰かが読み続けてきたのだろう、そしてこの本棚にそっと眠っていたのだろう‥

15時、病院へ行く。2ヶ月の長い休職が、今回の海老原先生の一言で終わることになる。「元気そうですね。これなら、復帰は大丈夫でしょう。多少緊張はあるでしょうが、皆さん経験されることです。安心してください。‥‥」薬の服用はまだまだ続けなければならないが、一つのトンネルを抜けたような気がした。

夜はAと飲む約束をしていた。2時間ほどどこかで時間を潰さなければならない。僕は最近時折足を運んでいる「アルル」という小さな喫茶店を訪れた。

新宿の外れにある「アルル」は1978年に創業された。「めぞん一刻」に出てきそうな、80年代初頭の喫茶店の雰囲気を色濃く残したレトロな場所である。

そして何より目を引くのは、2「匹」の店員‥店の中をあちこち我が物顔でトコトコと歩き回る「石松」と「次郎長」という猫だ。いわゆる「猫カフェ」が、猫と戯れる時間を測って、その時間の分だけ料金を払わなければならない、いわば猫が一つの商品と化しているのに対して、石松と次郎長は立派な店員さんなのである。石松は玄関のウインドウの中から客が来るのをじいっと見張っているし、次郎長は店先のベンチの上にずいと座って、客を出迎えているのである。

いつもの僕は、店の中を歩き回る彼らの姿を遠目に見て、それだけで癒やしを感じていた。しかし今日は違った。僕が通された席のソファの上で、石松はぐっすりと寝ていたのだ。石松を起こさないように席に座り、石松を撫でながら、コーヒーをすする。片手に持つ本はヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」だ。石松は時々ふわ~っと伸びをするが、やはり起きない。いつの間にかコーヒーも冷たくなってしまい、気づけば石松の寝顔を見ながら2時間が経っていた。動物の寝顔はたまらなくいい‥至福の時間であった。

「今から池袋に向かう」とAから連絡があった。もう行かなければならない。さらば石松‥僕は石松を起こさないようにゆっくりと立ち上がり、アルルを後にした。

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アール・ヌーヴォーの風雲児

国立新美術館でやっているアルフォンス・ミュシャ展に行ってきた。

この美術展は3月初頭から開かれていて、その頃から必ずや見に行こうと決めていたが、病気のごたごたで実現できずにいた。

僕はアニメオタクではないし、アニメをほとんど見ないが、好きなアニメーターに後藤圭二という方がいる(高校時代、大学時代の日記にも時々名前が出てきている)。後藤さんが敬愛する絵描きの一人として、ミュシャの名前は高校生の頃から知っていた。じっくりと作品を見るのは、今回が初めてである。

今回の美術展の目玉となるのは、チェコ国外では世界初公開となる「スラブ叙事詩」だ。6メートル×8メートルに及ぶ巨大な作品が、20作品も連なって公開されるのである。そのスケールと迫力たるや、今まで僕が見た(注:僕はそれほど美術品を多く鑑賞したわけではない)どの作品にも及ばない、まさに圧巻の一言である。

ただ僕個人としては、「スラブ叙事詩」よりも、ミュシャが女優サラ・ベルナールと彼女の劇団のために制作した舞台のポスターのデザインに惹かれた。このデザインは1900年頃に日本の大衆紙「明星」にも挿絵として掲載されたらしい。そういったどことなく感じられるレトロな雰囲気が、僕の感性に合致しているのかもしれない。

アルフォンス・ミュシャ、僕の好きな美術家の一人に加えられた(こうして書くと美術展に行く度に美術家を好きになっているようである)。

カレーメモ

カレーが好きだと昔の日記に書いた。

しばらくの間にいくつかの店を開拓した。開拓した店の数を増やすことが食べる目的では無いが、その数が多くなるにつれ、どの店を訪れたかわからなくなってきたので、ここに書き留めることにする。以下のリストは、2014.8.19の日記に記したものを更新したものになる。

 

【新宿】
・モンスナック
・CLOVE
草枕
もうやんカレー大忍具
ガンジー
新宿中村屋
・王ろじ
・BERG
・Cafe HAITI
チャンパー
・MUTHU(ムット)
・グレート・インディア
・スパイスガーデン
・C&C
・咖哩なる一族
・コチンニヴァース

【銀座】
・HARE GINZA

秋葉原
ベンガル

【築地】
・中栄

【神保町】
・ボンディ
・ガヴィアル
エチオピア
キッチン南海
・鴻(オオドリー)
・チャボ
・共栄堂
・ペルソナ
・マンダラ

【池袋】
・camp express
・キッチンABC

【渋谷】
・SHANTi

【恵比寿】
・吉柳

【中野】
・トリコカレー

荻窪西荻窪
・トマト
・吉田カレー
・SPOON

【吉祥寺】
・くぐつ草
・まめ蔵
・武蔵野文庫

虎ノ門
・ターリー屋
・上等カレー

高田馬場
・馬場南海
エチオピア

【鷺ノ宮】
・カレーや うえの

【上井草】
キッチン南海

【上石神井
・analog
・ふんだりけ

 

※番外

【京都】
・ファミリーキッチンPu(御室カレー)
・お多やん(カレーうどん

雪月花の時、最も友を思ふ

銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも

山上憶良の有名な万葉集の歌である。

銀も金も玉も、どんな宝であっても子供には敵わない、という親の思いは、千年以上昔の古い時代から変わらずに在り続けるものだ。

そしていつの時代にあっても、新たな生命の誕生というのもまた、この上なく喜ばしいことである。

Hの奥さんであるIさんがご懐妊されたそうである。

川端康成の「千羽鶴」で、次のようなシーンがあった。

 友人は結婚していて、赤ん坊があった。赤ん坊になれない菊治は、生れて幾日くらいになるのか、その割に大きいのか小さいのか、見当がつきにくくて、あいさつに迷った(略)。

 いっさいはその赤ん坊を中心にして、赤ん坊ばかり見ているような友人夫婦の生活に、菊治はのけものの感じだったが、帰りの汽車に乗ると、見るからにおとなしそうな細君の、生気の抜けたようにやつれながら、うっとりと赤子を抱いていた細君の姿が、菊治の頭に浮んで離れなかった。(略)

 菊治は家に帰って、縁側に寝そべった今も、神聖な哀感とでもいうようななつかしさで、その細君の姿が思い出されるのだった。

きっと僕も、11月に生まれるというその赤子を前にして、なんと声をかけてよいのか迷ったりするのだろう。そしてHとIさん、赤子の3人の姿を見ながら、のけもののように感じつつ、その3人の姿に喜びを感じるのだろう。

神聖な哀感。今はただ、嬉しい‥。