ヨセミテの精霊たち

スマホの目覚まし時計を朝5時45分にかけていた。同部屋の皆に申し訳なかった。この日はヨセミテ国立公園へ行く現地ツアーに申し込んでいて、7時に近くのホテルのロビーで待ち合わせをしているのである。共同シャワールームでシャワーを浴び、トイレのコンセントを使ってドライヤーをかけ、ホテルを出た。

今回のツアーは、グランドキャニオンツアーの時ほどの人数はいない。全部で16人だとツアー引率者(日本人のおっさん。そのずんぐりとした風貌から、ツアー関係者からは“くまさん”と呼ばれているらしかった)は言っていた。トラックのようなバスのような車に乗せられ出発。“くまさん”が運転しながら、マイクで無骨なガイドをしている。そんなガイドを片耳に聞きながら、僕は早速眠りについてしまった。

1時間半おきぐらいに休憩があったと思う。グランドキャニオンツアーに比べてガイドの話が面白くなく、車中の雰囲気はあまり覚えていない。

12時にヨセミテ国立公園に到着。グランドキャニオンほどの迫力はなかったが、これはこれで、まあ、素晴らしいかな‥という印象だった。グランドキャニオンを訪れた時、何か風景画を見ているような気分だったと書いた。ヨセミテもまた然りで、遥か高くそびえるハーフドームやエル・キャピタンは、凄い、確かに凄いのだが‥何か言葉が出てこない。

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ただ、グランドキャニオンとヨセミテの違いとして感じたのは、その一帯に荘厳で神聖な、安い言い方をすればスピリチュアルな空気が満ちていたということである。呼吸する度に瑞々しい空気が入り込み、体が浄化されるようだった。ヨセミテは風景を楽しむより、ヨセミテが持つ雰囲気そのものを感じることに意義があるのかもしれない。

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15時に公園を出た。休憩を挟みながらサンフランシスコへ戻る長い道が始まった。途中、休憩で降り立ったガソリンスタンドで、Michelle Branchの「Everywhere」が流れていて、とてつもなく懐かしい気持ちになった。中学3年生の時に、好きで何度も聞いていた。15年も前の曲である。日本では既に忘れられた曲かもしれないが、アメリカでは、今でもこうして時たま流れているのだろうか‥

すっかり日も暮れた19時、サンフランシスコのダウンタウンへ戻ってきた。昨日の夜にロクな食事ができなかった僕としては、今日こそちゃんと店に入って料理を食べたかった。サンフランシスコといえばチャイナタウンだ、と勝手に思い込んでいたので、世界の歩き方を使ってチャイナタウンへの行き方を調べた。しかしホテルからチャイナタウンまで、歩いて30分はかかる(他に手段無し)。既に辺りは真っ暗で、この夜道を30分も歩くのか‥と思うと少し気が滅入ったが、美味い飯のためだ。頑張って歩くことにした。

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20時、スマホで探し当てた名店「湖南又一村(Hunan Home's Restaurant)」に辿り着いた。メニューを貰うと、中国語と英語が並んでいる。どれも、どんな料理かわかるようで、イマイチよくわからない。料理の写真が並んでいるのがありがたい。しかしどの写真も唐辛子のマークが付いていて、何か危険そうだ。僕は「カシューナッツと鶏肉炒め(13ドル)」と「牛肉チャーハン(10ドル)」、「青島ビール(5ドル)」を注文した。どれもボリュームがあった。チャーハンがかなり美味い。カシューナッツと鶏肉炒めも、結構いける。ビールは‥日本のものが美味い。

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僕は7割方満足して店を出た。一方でがっかりしたことが2つある。1つは、食べている途中で、早く帰れよと言わんばかりに請求書を持ってこられたこと。アメリカでは普通、「Check please.」と言わない限り請求書を持ってこない(今回の旅を通して、チェックをお願いする前に請求書を出されたのはここだけである)。もう1つは、レジに「破れたお札お断り」と貼り紙をしておきながら、ぐちゃぐちゃ、しわくちゃ、しみつきのお札をお釣りに出してきたことだ。今にも破れそうで、当然、駅の自動券売機では使えなかった。白人には出せないが、日本人になら出してしまえ、とでも思っているのだろうか。やはりアジア人は白人に比べて軽く見られているのだ‥と痛感して悲しくなった。

7割の満足と3割の悲しさを胸に、また30分歩いて宿に戻った。フロント業務は朝9時からと聞いていたが、僕は明朝6時半にはホテルを発つ予定だったので、どうやってチェックアウトすればよいかわからなかった。とはいえ英語を話すことに自信が無かった僕は、メモ帳に「Can I check out tomorrow early morning? I board plane at 9:30.」と書いて、フロントのお姉さんに見せた。お姉さんは、心配ご無用、と言わんばかりに、カードキーをフロント前の箱に入れてねという身振り手振りをしてくれた。

シャワー室でシャワーを浴び、23時にはベッドに横になった。サンフランシスコで眠るのは、今日が最後である。

坂と海と浮浪者と

朝7時半に起床。1時間ほどで身支度を終え、部屋を出た。エクスカリバーとは、ここでお別れである。

次の目的地はサンフランシスコ。マッカラン空港を11時半に飛び立つ便に乗る予定なので、9時半には空港に着きたい。バス・Deuceと#109を乗り継いで、無事に空港に着いた。

2回目の国内線、利用するのはユナイテッド航空である。ロサンゼルスを発つ時の日記に書いたように、「受託手荷物を預ける」ことが一つのミッションになるわけだが、ロスと同様にマッカランにおいてもセルフチェックインカウンターを利用することができる。このマシンを使えば、クレジットカードを挿して簡単な入力を進めるだけで受託手荷物の手続きから何からあっという間に終わる。アメリカの国内線は日本のそれ以上に多種多様な人間が利用するから、多言語に対応したマシンが発達しているのももっともなことなのかもしれない。

11時に搭乗開始。ユナイテッド航空の機材はデルタ航空より古くはなかった(新しくもないが‥)。どうも疲れているようで、飛行機の中はずっと寝ていた。2時間ほどしてサンフランシスコ国際空港に降り立った。

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空港から鉄道「BART」に乗ってダウンタウンまで行く。

時刻は13時半過ぎ。これは何をするにも中途半端な時間であった。フィッシャーマンズ・ワーフで昼飯を食べ、ゴールデン・ゲート・ブリッジを見に行くつもりだったが、どちらか一方しか選べそうにない。前者は、サンフランシスコのマスコット的存在であるケーブルカーに乗ることができるので、そちらを選ぶことにした。

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ケーブルカーは路面電車のようだが、「ケーブル」と呼びながら車両の上に電線が走っていない。一体何を動力にしているのだろうか。その割にサンフランシスコ市内の急な坂道を(サンフランシスコは「坂と海の街」と言うほど、坂道だらけである)ぐいぐいと登っていく。感心するほどの馬力である。

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ケーブルカーに揺られながらパウエル・ストリートを進み、15時頃、フィッシャーマンズ・ワーフに着いた。

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海岸沿いをぷらぷらと歩く。穏やかな海風が心地よい港町だ。15時を過ぎているが、朝から何も食べていない僕にとっては昼飯時である。世界の歩き方に載っている「Crab House at Pier 39」には、日本語メニューもあるらしい。フィッシャーマンズ・ワーフの看板にカニが描かれているように、この町はイチョウガニが名物で、「Crab House at Pier 39」ではカニ料理を食べることができる。他に行くアテも無かったので、そこへ足を運ぶことにした。

カウンターに通され、日本語付きのメニューを見せられたが、何が良いのかイマイチよくわからなかったので、イケメンのボーイに「Which food do you recommend?」と聞いてみた。ボーイは丁寧に、カニのガーリック&オリーブオイルソテーと、カニのクラムチャウダーがおすすめだと教えてくれた。言われるがままにその2つを注文。どちらも美味かったが、カニの食べ方がよくわからず、手がベタベタになってしまった。チップ込みで約50ドル。痛い出費となった‥

ケーブルカーで来た道を戻り、ダウンタウンへやって来た。この時点で17時近かったが、どうしてもゴールデン・ゲート・ブリッジを見たかった僕は、ブリッジ行のバスが発着するテンポラリー・トランスベイ・ターミナルをとりあえず訪れた。帰りがどれだけ遅くなるだろう‥いや、行けるところまで行ってみるのだ‥そう思いながら、バスを待ってみる。しかし、いくら待てども一向にバスが来る気配がなく、そもそも時刻表らしきものも貼られていないので、これ以上は無理だ、といよいよ退散。そこから西へ30分ほど歩いて、ホテルを目指した。

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サンフランシスコの2日間に泊まる場所は、ホテルというよりゲストハウスのようなものである。前の2日間の、観光客が泊まるような場所とは少し性格が違うので、フロントのお姉さんの英語も非常に聞き取りづらい。というより、何を言っているのかほとんどわからない。テキトウに相槌を打ってチェックインした。

サンフランシスコは、ダウンタウンの中でもフィナンシャル・ディストリクトのようなオフィス街でなければ、浮浪者がかなりうろついていて、怖い。空気も臭い。ずっと緊張が続いていて、自分のベッド(自分の部屋は、2段ベッドが3つ設置されていて、6人が寝泊まりできる。僕は2段ベッドの上段を充てがわれた。この日は、満員だった)に横になるなり、ぐっすりと寝入ってしまった。

22時前、ハッと起きると、僕の他に外国人が数名いた。お互いに何かを喋っているが、全く内容が掴めない。とりあえず飲み物だけでも買わねばと、外に出た。近くにファーマシーがあって、そこでクリスタルガイザーと小袋に入ったナッツを買った。サンフランシスコのよくわからない雰囲気の”何か”に圧倒されて、結局夕飯を食べることができず、部屋に戻ってナッツを食べるしかなかった。メモ帳に1日の日記を書いていると、外国人の1人が話しかけてきた。何を言っているのか全くわからないので、「I speak English a little.」と言ってみた。すると彼は、部屋の壁にある電灯のスイッチをカチカチとやっている。恐らく、君が書き物を終われば、部屋の電灯を消すのだが、とでも言っているのだろう。僕は慌てて、すぐ寝るから、と伝え、シーツに潜った。慌ただしいサンフランシスコの1日目が終わった。

大峡谷

4時45分の目覚まし時計で起きた。今日は朝早くから現地ツアーに合流して、グランドキャニオンに行くことになっている。シャワーを浴び、6時には部屋を出て、チェックアウト。売店でリプトン・グリーンティーというペットボトル飲料を3ドルで買った。グリーンティーというから緑茶かと思ったが、シトラスフレーバーの何やらよくわからない味だった。

集合場所には他に3人が集まっていた。1人は33歳の男、あとの2人は1人が僕と同い年の男、そしてその母親だった(この同い年の男はM君と言って、気さくに話しかけてくれる好青年であった。後の日記にも書こうと思うが、この日連絡先を交換して、帰国した後で2人で東京で飲んだりした)。程なくして迎えのバスがやって来て、僕達4人はそれに乗り込んだ。各ホテルで集まった人達がこのバスに回収され、グランドキャニオンを目指す。ツアー客は総勢50人はいるらしかった。僕は1人で参加しているというおっさんの隣に座った。

バスはキングマンセリグマンという町でトイレ休憩を挟みながら、グランドキャニオン最寄りのツサヤンという町まで行く。ラスベガス→キングマンまで1時間半、キングマンセリグマンまで2時間。そしてセリグマン→ツサヤンまで2時間程だったので、グランドキャニオンまでの道のりがいかに大変なものかわかるだろう。町と町の間は、何も無い広大な荒野に一本のハイウェイが走っているだけである。いかにもカリフォルニアらしい風景が広がっていた。が、朝が早かったこともあって、道中は爆睡していた。

ツサヤンに着いたのは12時。昼飯時である。ツサヤンのレストランで昼食が用意されていた。バスで僕の隣だったおっさん、後ろの席にいた2人組の男と4人で飯を食べた。おっさんは銃を撃ちにアメリカに来たらしく、あとの2人は学生時代の友人で、26歳だと言っていた。

昼食を食べ終わると、いよいよグランドキャニオンへ。

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一面に広がる風景は、何か写真のようだった。写真を見ているようで、何も言えなかった。地球が気が遠くなる程長い時間をかけて作り出した風景だ。圧巻である。確かに凄い。凄いのだが‥どうしても、写真を見ているような気分になった。僕はグランドキャニオンの写真を何度も目にしたことがあるが、それとの違いが、正直言ってあまり見出だせなかった。「実物はもっと凄かった!」という気分にはならなかった‥というのが率直な感想である。素晴らしい風景なのは、確かだが。

2時間程あちこちの鑑賞ポイントを見て回った。途中、他の外国人観光客やM君に、グランドキャニオンをバックに僕の写真を撮ってもらったりした。僕は笑顔を作るのが苦手で、どうしても無愛想な表情を取ってしまうのだが、写真を撮ってもらった後、通りがかりのおばさんに「Smile!」とダメ出しされてしまった。

15時から帰路へ。再びツサヤン→セリグマン→キングマン→ラスベガスと、5時間の長旅が始まった。僕は相変わらずおっさんの隣で寝ていた。

20時にようやくラスベガスに着き、僕はルクソールの前で降ろしてもらった。今日はルクソールの隣にあるホテル「エクスカリバー」に泊まる予定だった。すると、朝の集合場所にもいた33歳の男もルクソールで降りたので、少し話をした。彼は銀行員で、長い間激務が続いていたが、ここ数日まとまった休みが取れたので、ニューヨークやラスベガスを旅行しているとのこと。昨日、僕が行くのを断念した、ベラジオの噴水ショーも見に行ったと言っていた。見るのは無料だし、見る価値は十分だ、と。そこまで言われると、ベラジオに行かないわけにはいかないではないか。

ベラジオに行く前に、エクスカリバーでチェックインを済ませることにした。昨日のルクソールでのチェックインと話すことは同じ。手続きはスムーズに終わり、僕は荷物を部屋に置いて、再びホテルの外に出た。

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ラスベガスの夜は暑い。きっと25度とか30度はあったのではないかと思う。しかし湿気が全く無く、カラッとしているので、まるで汗をかかない。日本にいる時に感じるのとは違う、不思議な暑さだった。この暑さなら、多少歩いても疲れない。エクスカリバーから30分ほど歩くとベラジオが見えてくる。ベラジオはラスベガスの中でも有数の高級ホテルで、ルクソールエクスカリバーの数倍の宿泊料がかかる。ベラジオの真正面に大きな池があり、これに備え付けられた噴水でショーが行われる。このショーは無料で見ることができるので、池の回りは見物客で溢れていた。

池の前には、コスプレイヤー達もまた集まっている。実は彼らは、行き交う人と記念写真を撮った見返りに高い撮影料を請求してくるのである。そんな手口を知らず、僕はついピカチュウのきぐるみをカメラで撮ってしまった。するとピカチュウとコンビを組んでいるもう一人のスーパーマン風の男が、「写真撮ってやるよ!」と言ってきて、ついついカメラを渡した。男は「What's your name!?」「You're サムライ!」などとおだててくる。僕もノッてきて気分良くしていると、なんと男は「pay money...」とドル札を見せてくるではないか。20ドル札を見せてくるあたり、20ドル払えということだろう。しかし「侍」だと言われた手前、断るわけにもいかず、20ドル札を差し出した。これで終わりかと思いきや、今度はピカチュウが金を寄こせと言ってくる。さすがに頭にきて、5ドル札をピカチュウの口に突っ込んでその場を後にした。全くいい勉強になった。

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ベラジオの噴水ショーは15分おきに、1回あたり3~4分行われる。僕は21時45分、22時、22時15分の3回を見た。どれも曲と演出が違い、迫力があって息を呑んだ。これは見に来てよかった。

せっかくベラジオに来たので、ベラジオのバフェで食事をしようと思いついた。しかしバフェは22時までとのことで、諦めて退散することにした。ベラジオの中に入ったついでに色々と見て回ったが、やはり高級ホテルの風格のようなものを感じた。レストランにはピアノが置かれ、ピアノマンが静かに曲を弾いていた。単にCDを掛けるのとピアノマンが演奏するのとでは、違った雰囲気が醸し出されるようだ。また、カジノに来ている客にも品格が漂っていたように思う。確かにベラジオとルクソールエクスカリバーでは、宿泊者層に大きな違いがあるので、当然ではあるが‥

夜も大分遅くなってしまったので、エクスカリバーに戻ることにした。途中、「CVS PHARMACY」というスーパーがあったので、そこでピタというサンドイッチのようなものと、コロナ、ペリエを買った。寂しい夕食だが、ピカチュウ達に金をせびられてしまったので仕方がない。

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0時にシャワーを浴び、そろそろ寝るか、とも考えたが、どうも昨日のルーレットの興奮が忘れられない。せっかくラスベガスに来たのだ。カジノで遊んだのが1日ではもったいない。そう思って、ついにエクスカリバーのカジノへ繰り出した。0時を過ぎたとはいえ、ここは眠らない街のカジノだ。未だに多くの客が賭けに興じている。昨日の100ドルを取り返すのだ‥僕は意気込んで、再びルーレットのテーブルに座った。僕の他に2人の男性が座っていて、3人で長い時間プレーした。僕は相変わらず赤か黒か作戦でベットしていた。一旦は昨日のマイナスを取り戻す程まで勝ったが、ジリジリと負け始めて、結局この日も100ドルのマイナスになってしまった。2日で200ドルの負け。所持金の1/3以上を持って行かれたことになる。しかし僕はカジノで思う存分遊ぶことができた満足感で一杯だった。清々しい気持ちで、ディーラーにチップを渡して席を立った。時計は2時を指していた。

盤の上で玉は踊る

昨日の日記を読み返すと、思いのほか面白くなくてうんざりする。パリの時もそうだったが、僕は旅行中、時間を見つけては自分の行動をメモしていた。帰国して1か月が経ち、記憶が薄れている今となっては、そのメモを頼りに日記を書くしかないわけだが、メモに頼りすぎて、ただただ行動が書き連ねられた無機質な文章になってしまっている。新聞の首相動静のようだ。こんなものしか書けないのかと辟易するが、後の推敲で良くなることに期待して、日記を先に進める。

日付は9月18日になった。僕はロサンゼルス国際空港のベンチに腰掛け、荷物が盗まれるのが怖くて寝ることもできないまま、ひたすら朝を待った。この空港はフリーWi-Fiが整備されていたので、それに携帯を繋いでネットを見ながらぼーっとしていた。夜遅くまで離発着の多いこの空港も、深夜1、2時ともなれば人の姿もまばらになった。外の空気がロビーに入り込んできて寒い。途中、訳の分からない老婆が訳の分からないメモを見せてきて、訳の分からない事を言ってきたので、「ノー、ノー」と言って振り払った。

f:id:b3rd:20160918184413j:plain 深夜3時の空港内

何もすることが無く途方に暮れていた僕は、ふと、8年前に自転車で福岡から東京へ旅をし、その時にずっと吉井和哉のアルバム「Hummingbird in Forest of Space」をヘビーローテションしていたのを思い出した。あの時も一人心細い中、このアルバムを聞いて自転車を漕ぎ続けた。その風景がありありと蘇ってくる。このアルバムはやっぱりいい。聞いている間中鳥肌が立ち、「WINNER」が流れたときは泣きそうになった。

昔の吉井和哉の思い出に酔っているとあっという間に時間が経ち、朝5時になった。トム・ブラッドレーターミナルを出、デルタ航空が離発着する5ターミナルへ向かった。歩きながら僕は思った。この時間、トム・ブラッドレーターミナルに人はほとんどいなかったし、道路にも人の姿はほぼなかった。外国に来てこんな空港の姿を見ている自分は、ある意味貴重な経験をしているのではないか‥

さて、ついにアメリカ国内線に初挑戦する。昨日の日記にも書いたとおり、「受託手荷物を預ける」ことが僕にとって一つのミッションであった。しかし、チェックインカウンターには自動受付機が備え付けてあり、なんとこれが日本語表示される優れものであった。この機械にクレジットカードを通せば、受託手荷物の手続きから支払いまで一気に終えることができた。あとはカウンターで伝票を見せて、荷物を預けるだけ。拍子抜けするほど簡単なチェックインであった。

6時50分、離陸。デルタ航空の機体は恐ろしくボロかった。昨年のタイ国際航空や今回の中国南方航空に比べると、明らかに見劣りしている。「大丈夫か、デルタ航空‥」と思わず不安になった。離陸後は眠気がどっと出てきて、すぐに寝てしまった。1時間後、着陸の衝撃で起こされた。

ラスベガス空港、通称マッカラン空港は、建物内のあちこちにスロットマシーンが置かれていて、「ラスベガスに来た!」と思わせてくれた。これから本場のカジノへ向かうというのに、わざわざ空港でスロットを回す必要もないなとその場を後にした。

 空港のバス停で、ラスベガスの公共交通機関であるRTCというバスのチケットを6ドルで買い、やって来たバス#129に乗り込んだ。サウス・ストリップ・トランスファー・ターミナルで一旦降り、今度はバス・SDXに乗換えてストリップ方面へ。外国で初めて公共交通機関を使う時はハラハラするものだが、今回はスムーズだった。ストリップの南端にあるホテル「マンダレイ・ベイ」前で降り、さあこれから色々散策するぞ、と意気込んで歩き始めたが、数分歩いて引き返した。ラスベガスのストリップというのは、広大な荒野に巨大なホテルが並んでいて、とても歩いて観光できる場所ではない(ホテルの端から端まで歩くだけで数分を要する)と気づいてしまったのである。しかも前日からロクに寝ていない。時間はまだ朝9時半だったが、早々に僕が泊まるホテル「ルクソール」(マンダレイ・ベイの隣にある)の中へ入った。

f:id:b3rd:20160919011513j:plain ホテル・ルクソール

ホテルのチェックインカウンターはまだ開いていなかったので、とりあえずホテルの中を散策することにした。1階には、ホテルの入口からすぐ見えるところに大きなカジノが広がっている。暗い空間にマシンの明かりと人の渦。これぞエンターテイメント、これぞ人類の贅の全て、といった感じだ。もちろんカジノに入るのは初めてだったので、全てが新鮮だった。無数に並ぶスロット、ディーラーのいるテーブル、テーブルに群がる人、人、人‥これがカジノか。今日、自分もどこかのテーブルに飛び込み、彼らの仲間入りを果たすのだ。そう思ってわくわくした。

しかし、まず解消しなければならないのは空腹と眠気だった。僕は2階に上がり、フードコートを見て回った。「Johnny Rockets」と書かれたハンバーガー屋が目に止まり、そこで「ジョニーブレックファスト」といういかにもアメリカチックなメニューを注文した。メイプルシロップ付きのビスケット(日本ではケンタッキー・フライドチキンで食べることができるアレである)、ハンバーグ、プレーン・スクランブルエッグ、ハッシュドポテト(大盛り)、コーヒーで約10ドル。野菜っ気が全く無い。健康に悪そうだ。全て食べると、予想通り胸焼けを起こしてしまった。

f:id:b3rd:20160919022128j:plain ジョニーブレックファスト

10時半、チェックインカウンターが開いたので早速チェックインする。大勢の人が並んでいる。僕を担当してくれたカウンターのおばさんは、割と聞きやすい発音で話してくれ、親切に対応してくれた。カードキーを貰い、自分の部屋へ。

f:id:b3rd:20160919033343j:plain ルクソールの部屋

部屋はツインベッドで広かった。これで60ドル程なので驚きである。とはいえ、ラスベガスのホテルというのは部屋の値段を抑える代わりに、リゾート料金 Resort Feeを取るので、トータルではトントンかもしれない。僕もチェックインの時に30ドル近く取られてしまった。ベッドに横になるといよいよ限界で、30分だけ寝ようと目覚ましをセット。しかし結局起きれず、目が覚めたのは15時過ぎだった。

この日は、昼は早いうちからカジノに挑戦し、夜は外を散策するつもりでいたので、15時まで寝たのは痛かった。急いで起きてシャワーを浴び、売店でペプシコーラを購入(4.75ドル。高い)、カジノへ向けて臨戦態勢になった。

とりあえずスロットでもやってみるかと、適当な台を探し、10ドルを入れてみる。リールが回り、絵柄が揃わず、リールが回り、絵柄が揃わず‥ものの数十秒で10ドルが消えた。台を変えてまた10ドル入れてみる。すぐに10ドルが消える。くやしいので20ドル入れる。今度は小さな役が揃って、しかしまたコケて‥この繰り返しですぐに終わってしまう。40ドルが数分で消えた時、スロットでは勝てないと気づいた。何より、機械相手の無機質なプレーでは楽しめないと悟った。そこで僕は、ついにルーレット台へ行ってみることにした。

まずは、他の客がどのようにしてルーレットに興じているか観察することにした。IDカード(外国人観光客であれば、パスポート)をディーラーに見せ、問題なければ、ルーレット用のチップと交換したいドルをテーブルに置く。テーブルに置くというのが一つのルールのようで、ディーラーにドルを直接渡そうとすると、怒られてしまう。交換するチップは、1枚1ドルのものか、1枚5ドルのものかを選ぶことができるので、ドルを渡した時に「$1」などと宣言すると、そのチップをドルの分だけ交換してくれる。ディーラーがホイールに玉を投げ入れ、「No more bet!」と言うまでに、これだと思う色、番号にチップをベットする。玉がホイールのポケットに入ると、外れた人はチップを回収され、当たった人もディーラーが合図するまで自分のチップを回収できない‥という風な具合である。なるほど、なるほど‥。

ある程度飲み込めたところで、1席空いていたテーブルにずいと座り、パスポートと20ドルを差し出した。チップ20枚と交換する。これが最初の手玉だ。僕はルーレットに一つの作戦があった。ルーレットは0から36まで38個のポケットがあり、そのいずれに落ちるかを考えるわけであるが、番号をピタリと当てるのは難しすぎる。1つの番号を当てにいくのではなく、ポケットの色、赤か黒かを当てにいくことにした。これならば、理論上は1/2の確率で当たることになる。他にも奇数・偶数のいずれかを当てる、前半・後半のいずれかを当てる、という方法も確率は1/2だが、僕の中でより単純明快なのが「赤か黒か」だったので、これでいくことにした。まず10枚、手持ちの半分を赤にベット。すると‥当たった。この方法で当たると、チップは倍になって返ってくる。20枚が返され、手持ちは30枚。今度は一気に20枚をベットしてみる。しかし‥外れた。20枚は取られ、残り10枚。ミニマムベット(最低賭けなければならないもの)は10ドル、つまりチップ10枚からなので、もう手持ちが無い。つい気持ちが焦り、最後の10枚をベット。そして‥見事に外れる。初めてのルーレット1席はあっさりと終わってしまった。しかし、その場の一員になって賭けに参加できたのが嬉しかった。

一度席を立ち、他のテーブルの様子もふらふらと見た後、違うテーブルでもう一度挑戦。今度は40ドルをチップに交換してもらう。まず黒に10枚ベットすると、隣の黒人の青年が何やら「本当に黒か??」というようなことを言ってくる。僕は「うん、うん」とうなずいた。すると彼は赤に10枚ベット。どうなるか‥結果は黒。「やるじゃないか!」と肩を叩かれた。が、その調子も続かず、一進一退あったものの結局40ドル分のチップも全てすってしまった。この日は100ドルのマイナスであった。

カジノで熱くなっている間に3時間が経ち、夜の19時過ぎ。腹も減ったのでカジノは切り上げ、地下の「バフェ」に行った。「バフェ」は「Buffet」つまりビュッフェである。ラスベガスはいわゆるビュッフェの発祥の地らしく、世界の歩き方でもラスベガスのビュッフェは「バフェ」という固有の名前で紹介されている。何はともあれラスベガスに来たからには、一度はバフェで食事をすべきらしい。25ドルほど払い、中へ。

アメリカン、イタリアン、日本食‥何でも食べ放題である。16オンス(500mlないぐらい)のハイネケンも注文し、たらふく食べた。

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f:id:b3rd:20160919111659j:plain デザート

バフェを出て、高級ホテル「ベラジオ」の噴水ショーを見に行こうかと一旦ホテルの外に出たが、あまりにも疲れていたので断念した。明日はグランドキャニオンへ行く現地ツアーに参加することになっている。6時半には集合なので、今日はぐっすり寝て準備したい。そんな風に思って、22時には床に就いた。

出国

9月17日から25日まで、アメリカ西海岸沿いを旅してきた。これを書いているのは10月24日。記憶が薄れつつあるが、今日から可能な限り毎日書き、1週間程度で完結させるつもりだ。頑張る、というのもおかしな話だが、頑張って書いていこう。

人生で2回目の海外である。なぜアメリカなのか。理由は2つある。第一に、昨年のフランスは英語圏ではなかったので、(多少は英語から推測できるものの、)言葉が何一つわからず、食事をすることさえも難儀だったのがトラウマになってしまった。これが今回は英語圏に行こうと考えた原因である。第二に、東京で命を削るような仕事を続け、日々消費していく中で、自分の生きる目的を問うた時、その一つは自分が未だ見たことのない景色を見ることだと悟った(28.8.3の日記に書いている)。まだ見ぬ景色として僕がまず考えついたのがグランドキャニオンであった。グランドキャニオンのあるアメリカは当然ながら英語圏である。グランドキャニオンは眞鍋かをりが「世界をひとりで歩いてみた」の中でロサンゼルスからツアーを使って訪れていた。ロサンゼルスの程近くにはラスベガスがあり、「深夜特急」において沢木耕太郎がマカオでやっていたように、カジノを体験できるかもしれない。アメリカ西海岸に行くのなら、サンフランシスコにも足を伸ばして、ヨセミテの景色を見てみよう‥。そうして、僕はアメリカ西海岸、つまりロサンゼルス、ラスベガス、サンフランシスコへ行くことに決めた。

8月いっぱいは仕事に追われていたので、9月に入ってからすぐに諸々の手配を始めた。航空券は昨年と同じくHISのサイトを使って予約。中華系の航空会社は利用者のレビューで散々な言われようだったので、昨年は使っていなかったのだが、東京⇔ロサンゼルスの往復で9万円という破格の安さについ惹かれ、これも冒険の一つだと「中国南方航空」を選んだ。ホテルも昨年と同様、世界中の宿泊施設が登録された「agoda」で予約した。これらは2度目の経験だったので、何もまごつくことはなかった。僕にとって初めての経験となるのは、ロサンゼルス→ラスベガス→サンフランシスコという国内の都市の航空機を使った移動である。ロサンゼルス→ラスベガス間はデルタ航空、ラスベガス→サンフランシスコ→ロサンゼルス間はアメリカン航空をHISで予約した。何より心配だったのは、いずれの航空券も「受託手荷物には追加料金がかかり、空港で別途手続きしなければならない」という点である。空港のチェックインカウンターで「荷物を預けたいんですが」「ここで支払うのですか?」「クレジットカードは使えますか?」などと問答しなければならない。果たしてちゃんと乗りこなせるのか‥いくばくかの不安を抱え、出発当日を迎えた。

9月17日、朝10時過ぎに家を出た。電車を乗り継いで羽田空港へ向かう。昨年は成田空港から出発したので、今回初めて羽田空港の国際線を使うことになる。12時に羽田空港に着き、まず国際線ターミナルの寿司屋でゲン担ぎに寿司を食べた。これは完全に眞鍋かをりのゲン担ぎのパクリである。アメリカで死んでしまったら、これが最後の日本食になってしまう。そう思って、寿司を一つ一つ噛み締めるように食べた。しかし、さすが国際線ターミナルである。外国人に不味い寿司は食べさせられないと思っているのか、かなり程度の高い店だった。数貫食べただけで2600円も取られてしまった。美味かったのでよしとしよう‥

寿司屋を出て、次はドルを買いに行く。空港にはいくつかの銀行のほか、「トラベレックス」という業者が入っている(これは羽田も成田も同様である)。昨年はトラベレックスでユーロを買ったのだが、後で調べてみると、どうやら銀行で買ったほうがレートが良いようだ。というわけで今回はみずほ銀行の窓口を利用させてもらった。約6万円を両替してもらい、1ドル104.70円だったので570ドルになった。

12時40分からチェックイン等、出国の諸々の手続きを始めた。飛行機の出発は15時40分なので、3時間前である。昨年は出国手続きにかなりの時間がかかったのを覚えていたので、余裕を持ってのことだった。しかし今回は全部で1時間もかからず、出国審査に至ってはガラガラで(昨年は出国審査に長蛇の列ができていた)すぐに出国できてしまった。搭乗ゲート前のベンチに座り、1時間近く時間を潰した。気分を高めるために、数日前から「深夜特急」の1巻、香港・マカオ編を読んでいて、これを読み終えるうちに搭乗が始まった。

16時頃、離陸。1時間程してまずナッツと飲み物が出され、コーラをお願いした。次いで30分後に飯が出た。牛肉か魚かを選べ、肉にした。不味い不味いと聞いていたが、確かに美味くはない、しかし食べられないというものでもなかった。場末の弁当屋の出す弁当のようである。ライス、牛肉を煮込んだもの、ニンジンとブロッコリーのボイル、コッペパン、サラダ、フルーツ。

それから目的地まで3時間ほどかかった。出発前に買った川端康成の「眠れる美女」を読んだり、寝たりして過ごした。中国時間の19時40分、広州白雲国際空港に到着。ここでは入国審査の時のように、パスポートをチェックされる乗換手続きがあり、特に何の心配もせずパスポートを係員に渡した。すると、繰り返し「ウィーサ(?)を見せて!」と言われ、寝耳に水だった。ポカンとしたままでいると、確認の結果、結局ウィーサなるものは要らなかったらしく、そのまま奥へ通された。「ウィーサ」とネットで調べてもそれらしいものが何も出てこず、何が起こったのか未だによくわからない‥

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21時頃から搭乗開始。機内は割と新しかった。昨年のタイ国際航空エアバスと張り合うぐらいだろうか。いずれにせよ、利用者のレビューにあるような「恐ろしく古い機体」ではなかったので安心した。しかし、席の周りにいたアラブ人なのかインド人なのか、中東系の男達が離陸前からかなり騒がしかった。何人もいたので、恐らくツアー客だと思う。席の前後でお菓子を交換し合ったり、お菓子を配り歩いている者もいた。お前ら遠足か、と言いたくなった。

21時半に離陸し、1時間経って飲み物が出された。ビールをお願いすると、「鈍生」と中国語で書かれた缶ビールを渡された。純生ではなく鈍生である‥一体どんな意味なのだろう。しかしぬるくてコクもなく、不味かった。23時には飯も出され、牛肉か魚かを聞かれた。もしまた肉を注文したら、先程の便と全く同じメニューが出てくるのか気になった僕は、今回も肉を頼んだ。すると先程とは微妙に異なる構成で、ビーフストロガノフ的なもの、マッシュポテトと固めたもの(?)、ニンジンとブロッコリーのボイル、パン、ケーキ。それらだけでも満腹だったが、さらにクラッカーも用意されていたので、一枚だけ食べてみた。味は至って普通のクラッカーだった。飲み物は赤ワインをお願いした。

それから機内の明かりが消され、次の飯までの長い長い苦悶の時間が始まった。まず映画「海街ダイアリー」を見た。広瀬すずら今をときめく4人の女優が出ている映画だが、何か釈然とせず感じるものが無かった。3、4時間程寝た後、昨年末に公開されたばかりの「ちびまる子ちゃん」の映画を見た。シンプルに良い話すぎて、何度も泣きそうになった。

7時にようやく明かりが点けられ、飲み物が配られた。コーヒーを貰ったが、腹が張って苦しかった。何時間も座りっぱなしで、満足にトイレにも行けない環境は非常に酷である。8時から朝食が出された。豚かオムレツかということで、オムレツをお願いした。やはり、不味くはないが、美味くもなかった‥。

10時40分、中国とロサンゼルスは15時間の時差があるので、ロサンゼルス時間の19時40分、ようやくロサンゼルス国際空港へ到着した。日付は未だ日本を出発した日と同じ9月17日の19時40分というのが重要である。17時間以上飛行機に乗っていたのに、時計は出国から4時間しか経っていない。早速時差ボケに悩む体に鞭を打ち、入国審査へ向かう。ところがこの入国審査、恐ろしいほど長い列を成していた。チェックが厳しいのか一向に前へ進まない。飛行機に乗っていた時から腹が張って苦しかったが、列に並ぶ前にトイレで事を済ませておくべきだったと後悔した。2時間近く列に並び、21時半にようやく出国審査を終えた。審査のおじさんはムスッとしながらも、「Only one person?ノートモダチ?」と日本語を織り交ぜてくるあたり、好感が持てた。

翌朝6時半の便に乗って、ラスベガスへ向かう。ホテルで休む時間の余裕は無いので、空港内で夜を明かすことにしていた。まず、国内線ターミナル(このターミナルは、トム・ブラッドレーターミナルという格好いい名前がついている)内の売店でミネラルウォーターを買った。これが僕のアメリカにおける初めての買い物になった。ミネラルウォーターを飲みながらベンチに座り、ぼーっとして夜明けを待った。長い長い9月17日は、ベンチの上で終わりを迎えた‥

新天地へ

ようやくひと通り荷詰めが終わったので日記を書く。明日から6泊8日でアメリカへ一人旅に出る。

今回の旅で達成したいこと、やり遂げたいことは次の5点である。

1.世界遺産であるグランドキャニオン国立公園へ行く
2.世界遺産であるヨセミテ国立公園へ行き、ハーフドームやエル・キャピタンを見る
3.ラスベガスのカジノを体験する
4.グリフィス天文台へ行く
5.これぞアメリカ、と言えるような豪快な肉料理を食べる

眞鍋かをりは「1つの旅行で、やりたいことを2つ設定すれば、ちょうどよい満足を得られる」と言っていたが、欲張って5つも挙げてしまった。6泊8日という長い旅なので、よしとしよう。

今回の旅は、昨年のフランスと違って、複数の都市を周遊することになっている。すなわち、ロサンゼルス、ラスベガス、サンフランシスコと巡るのだ。これらの都市の間は、アメリカ国内線の航空機を利用して行き来する。海外で国内線に乗るのは初めてなので、スムーズに事が運ぶか少し心配している。

また、まさに今、台風16号が激しい勢いで接近中で、ちょうど明日頃に沖縄・台湾あたりを通過するようだ。飛行機が飛ばなかったらどうなるのだろう。予定がドミノ倒しのように次々とダメになる可能性がある。それもまた不安だが、一体どうなるやらと少しわくわくしてもいる。

この旅はどんなことが起こるだろう。しかし何があっても、それが僕の宿命だったということだ。怖がらずに進んでみよう。

おつかれさまの国

怒涛の仕事がようやく一段落したので日記を書く。8月の残業時間は170時間余、過去の実績と比べても突出して多いというわけではない。自分としても、仕事が辛いと感じたことはあまり無かったはずだが、8月頭の日記を見る限り、割と精神的に不安定だったのかもしれない。10月からまた少し忙しくなるが、9月は比較的落ち着いていると思う。束の間の休息である。

8月26日に係の打ち上げが行われ、翌27日から係内の同期2人と山中湖へキャンプに行った。昨年5月9日の日記にも書いているキャンプ場だ(そこでは「河口湖」と書いているが、山中湖の誤りである‥)。2人はほぼ初めてのキャンプだったらしく、それなりに楽しんでくれたようで良かった。僕自身も、ダッチオーブンを使ったピザ作りに初めて挑戦するなど、なかなか良い経験ができた。その日の天気は大荒れで、夜中にテントの上から雨水が滴ってきたのにはいささか参ったが。

31日には、僕の職場の近く(虎ノ門)でAと飲んだ。彼は建築士の試験に挑んでいて、7月に行われた1次試験に無事合格したとのこと。2次試験は9月に行われる。この機会を是非ものにしてもらいたい。虎ノ門のとある一画には、夜鳴きそば屋というか立ち食いのラーメン屋台が時折現れる。帰り道にそこでAとラーメンを食べた。意外と美味かった。

昨年の9月は、パリへ一人旅に出た。今年も海外へ旅に出ようと思っている。詳しくは、後述する。