29歳になって

東京都美術館で開かれている「ゴッホゴーギャン展」を見に行った。

2人は19世紀末に活躍したポスト印象派の画家。わずか2か月ではあるが、フランスのアルルで共同生活を送った。その時に描かれた「収穫」や「ゴーギャンの椅子」、ゴッホの死後、ゴーギャンゴッホを想って描いた「膝掛け椅子のひまわり」などが展示されていた。

何よりも驚いたのは、ゴッホが画家を志したのが27歳の時だということである。人生は30歳から始まる、それは最も活力に満ちているからだ、というようなことも言ったらしい。ゴッホは結局、精神に異常を来して37歳で自殺してしまったから、その格言に100%の説得力があるとも思わないが、彼が画家として業を成したのは確かだ。僕は今まで、人生のピークは20代にあると考えていて、その20代が終わろうとしていることに一つの絶望のような気持ちを感じていた。ゴッホの存在は僕を勇気づけてくれる。人生はもっと面白くできるのかもしれない。

8日に29歳になった。鏡の前に立つと、時折白髪を見つけることがある。肉体はどうあっても、心はいつまでも若くありたいものだ‥

たったこれだけの日記を書くのに1時間もかかってしまった。何年やってみても、日記を書くというのは難しい。

秋の色

これを書いているのは12月11日である。10、11月は体調が優れず、アメリカ編を途中まで書いたところで筆を全く執れなくなってしまったが、Aと遠方へ遊びに出掛けたのが3回あり、必ず日記に書かねばと思っていた。いつかの日記で、朽ちていくものは美しいと書いた覚えがある。人間はそうではない。人間が朽ちていくことほど醜いものはない。しかし一度作った思い出は不変だ。朽ちる人間が醜いからこそ、変わらぬ思い出は美しいのかもしれない。ただ、思い出は思い出すことができなければ思い出ではない。だから忘れないように日記を書こうと思う。

 

11月26日から27日にかけて、Aと京都へ紅葉を見に行った。秋の京都へ行きたいなという話は、実は昨年から出ていた。しかし僕の仕事の都合やら何やらで昨年は行くことができず、今年になって再度話が持ち上がり、実現することとなった。

朝10時前、東京駅集合。ビール等々を買い、新幹線に乗る。

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昼過ぎに京都駅に降り立った。漠然と紅葉を見ることしか考えておらず、行く先を考える。かねてから僕の訪問リストに挙がっていた南禅寺へ行くことに。

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南禅寺は参拝客でごった返していた。紅葉シーズンの京都はこれほどまで人が多いのかと思い知らされる。桜の時期も多かったが、それ以上である。境内に、近代的な赤レンガ造りのアーチ橋「水路閣」があったが、人が多すぎて、一目見てその場を後にした。

人混みに圧倒されて一気に疲れてしまった僕達は、一旦四条まで戻り、喫茶店で休憩することにした。ちょうど「男の隠れ家」12月号で、昭和のレトロ喫茶特集をやっていて、京都の「築地」なる店が紹介されていたのを思い出し、そこに行ってみることにした(余談だが、「男の隠れ家」は僕が毎月(立ち読みで)チェックしている、シブい特集を組むオツな雑誌。以前、長野県の妻籠宿へ足を運んだことがあったが、妻籠宿はこの雑誌を読んで知ったものである)。「築地」は昭和9年創業。名物のウインナーコーヒーを貰った。年季の入った内装はかなりオツだったが、とにかく店員の挨拶(掛け声)がうるさくて参った。あまりにもうるさいのでAと笑ってしまった。

「築地」を出、宿へ向かう。一昨年の夏、昨年の春とお世話になった、塩小路通にある民宿である。宿の主のお婆さんはお元気そうだった。「台所にあるものは何でも好きに使ってね」とお婆さんが言ってくれ、Aが早速お湯を沸かして烏龍茶を淹れていた。

一段落したところで、今度は清水寺の夜間参拝へ行くことに。この時期、紅葉がライトアップされているのである。

清水寺南禅寺を上回る人の多さだった。清水の舞台の上はバーゲン会場のような有様で、ここで将棋倒しが起きたら死人が出るのではないかと思うほどであった。

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清水寺を出たら、産寧坂二年坂を通って祇園の方へ向かうのも風情があって良いですよ、という話を宿のお婆さんから聞いていた僕達は、清水坂を下りる途中で北に入る小道に入った。産寧坂二年坂、石彫小路と続き、八坂神社まで伸びる石畳の道である。両脇に土産屋等が並び、お婆さんの言ったとおりとてもオツな通りだった。産寧坂二年坂が交差するところにあった「とうふまんじゅう」屋に興味を惹かれ、せっかくなのでと食べてみることにした。おからのような餡が入っていて、意外と美味かった。

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祇園まで歩いて来、今年2月の京都の夜に入った居酒屋「遊亀」を訪れた。隣のお客さんに小言を言われたことが思い出深い。人気店ということなのか、待ちの客が10人ほど店の外で列になっていた。とにかくいい店なので、どうしてもAを連れてきたかった僕は、無理を言って並ばせてもらった。結局30分近く待ってしまってAには申し訳なかったが、美味い酒にAも満足してくれたようで良かった。2人ともへべれけになりながら京阪電鉄に乗り、23時過ぎに宿へ戻った。

翌朝、京都タワー下の銭湯で風呂に入った後、京都駅で朝飯を食べた。

この日は平等院へ行くことにしていた。京都駅からJRで20分ほど。2014年まで瓦の葺き替えや柱の塗り直しが行われていたらしく、外観は新築の建物のようだった。

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昼過ぎに新幹線に乗って東京へ戻った。秋の京都はとにかく人が多すぎたということを2人で嘆き合った。京都の街それ自体は、四季折々で違った姿を見せてくれる。それだけに、そうした姿が持つ情緒が、観光客の存在によって失われているような気がして、残念に思う。

サンタヒルズの宴

12月13日にこれを書いている。11月5、6日は、Aと栃木県那須郡にあるキャンプ場「サンタヒルズ」へ行った。今回は自分で写真をほとんど撮っていないので、ここに揚げる写真はAから貰ったものになる。

8時半、僕の住む宿舎に集合。近くのガソリンスタンドでレンタカーを借り、僕のキャンプ道具を詰め込んだ。

最初の運転は、Aからだった。Aは、実家に帰った際に時たま運転することがあるらしい。まずキャンプ場の前に、僕の掛かっている病院へ行くため、新宿へ向かってもらった。いきなり新宿の迷路を運転させる羽目になり、Aには申し訳なかった。途中のセブンイレブンで100円のホットコーヒーを買い、それを飲みながら気長に進んだ。僕は、コンビニのマシンで淹れるコーヒーを飲んだことがなかったので、意外な美味しさに感動してしまい、時代は進んだとAにぼやいたりしていた。

新宿の病院で所用を終えた後、いよいよ首都高へ。新宿の下道をぐるぐると迷った分、首都高へ入った時はお互いにほっとした。

東北自動車道を進み、Aが1時間ほど運転したところでSAに入った(どこかは忘れた)。運転交代である。僕は3年半近くハンドルに触れていなかったので、もしかしたら運転の仕方を完全に忘れてしまったのではないかと思ったが、いざ運転席に座ると自然と手足が動いた。ここから那須高原まで僕の運転で行く。

更に1時間ほど運転したところで高速を下りた。キャンプ場の近くで適当なスーパーを見つけ、そこで酒や食料を大量に買い込んだ。Aが「そんなに食うか?」と怪訝そうな顔をしていた。

「サンタヒルズ」に着いたのは、少し遅い15時。森の中の一画にサイトが充てがわれた。僕達はとりあえずテーブルとチェアだけ設置し、早速ビールを開けて乾杯した。

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タープ、テントを設置したところで、少しずつ寒くなってきたので、焚き火を始めることに。しかし、キャンプ場から買った薪に、全く火が着かない。驚くほど火が着かず、正直言って「着火に苦労した」ということが、このキャンプで一番の思い出になった。初め、広葉樹(火が着きにくい一方、一度着くと長く燃え続ける)の薪を買っていたので、火が着かないのも無理ないかと諦め、針葉樹(火が着きやすいものの、広葉樹に比べて燃焼時間が短い)のものを買い直した。が、これもまた全く火が着かない。これほどまで着火に苦労したことが今までにあっただろうか。1時間以上格闘してようやく火が安定した時には、疲れがどっと出てしまった。

夕飯は、寒いので無難に鍋にした。燻製にも挑戦し、ポテトサラダやゆで卵を燻製してみたが、ことごとく失敗してしまった。ビールが無くなった後は、昨年11月に熊本でキャンプをした時に美味かった「ジャックダニエルテネシーハニーのお湯割り」を飲んだ。周囲は暗くなり、焚き火の明かりをひたすら見ていた。Aが掛けていたラジオの音がか細く響いていた。ジャックダニエルが最高に美味かった。

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23時ごろに寝ただろうか。夜中、雨のような音が聞こえ、慌てて起きてテントから飛び出したが、木々の葉が揺れる音だった。

7時ごろに起き、昨晩の鍋のダシを温めて、おじやにして食べた。コーヒーが美味かった。

レンタカーの返却期限が迫っていた僕達は、早々に撤収作業をし、サンタヒルズを後にした。まずは僕の運転で高速道路に入り、どこかのSAで交代。Aの運転で東京に戻り、ガソリンスタンドで車を返却した。

Aにとっては今回が初めてのキャンプであった。この日のためにシュラフやチェア、バーナーを買って準備してくれた。キャンプに来てくれた友人には、いつも次のようなことを伝えている。『キャンプはラーメン二郎のようなものだ。帰ってすぐの時は、疲れて「しばらくはいいや‥」という気分になるが、時間が経つと、また行きたくなるんだ』‥。Aに楽しんでもらえたのなら何よりである。また次回も参加してほしいものだ。

筑波山攻め

これを書いているのは12月31日。2016年も終わろうとしている。アメリカ編はすぐに完結できるものではないのでともかくとして、Aと行った3旅行は年内に書いておかねばならない。その3旅行も今回の筑波山登山で完結である。正直言って細かい部分は忘れてしまったので、写真を貼りつつ、簡単にまとめていくことにする。

10月8日、この日はAと茨城県筑波山を登りに出掛けた。天気予報で、午後から雨だと聞いていた僕達は、午前中のうちに下山まで終えよう、と話をしていた。そのためには、朝イチの交通機関を使って筑波山に着く必要がある。僕はAの住む北千住に6時45分には着いておかなければならなかった。が、案の定寝坊してしまい、30分遅刻して参上した。

北千住からつくばエクスプレス、バスを乗り継いで、筑波山神社へ。1時間半から2時間の登山が始まる。

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天気はすでに曇りで、山頂に近づくにつれて霧が濃くなってきた。

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山頂はかなり濃い霧に覆われていた。山頂の標高は870mほどであるが、一帯が雲の中にあるからなのか、山頂の岩場に立つと視界はただただ真っ白な空間が広がるばかりで、雲の上にいるようだった。小雨も振り始め、いよいよ下山しなければ危険に思われた。

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登りはさして辛くなかったが、下りは困難を極めた。雨が土砂降りになり、足場が急激に悪くなった。少しでも気を緩めると、つるっと滑ってしまう。3、4回は盛大にコケてしまった。二人に登りの時のような余裕は無く、ずっと無言で登山口を目指した。

登山口に着いた時は、少し大袈裟かもしれないが、無事に五体満足で戻って来れたことに安堵した。山を舐めてはいけない‥とつくづく感じさせられた。

北千住まで戻ってきた後、Aは自宅に着替えに戻り、僕はこの街に古くから在るという銭湯へ行くことにした。かなり年季の入った、オツな銭湯だった。

それから新宿に移動して飲んだ。歌舞伎町で久しぶりに二人でダーツをやり、僕は負ける度にウィスキーを一気したりした。贅沢な時間であった。

登山は一歩間違えば死に繋がる。十分な知識を持ち、しっかりと準備した上で次に臨みたい。

帰国

最終日である。7時半に目覚まし時計をかけていたのに、寝坊して9時50分に起きてしまった。急いで身支度をする。シャワーを浴びていると、最後の最後でお湯が全く出なくなった。最後の最後までよくわからないホテルだった。11時にチェックアウト。

まずは昨夜書いた手紙を出すことから始めなければならない。日本人街「リトルトーキョー」の近くに郵便局があると知り、そこで手紙を出すことにした。が、建物の前について驚いた。合同庁舎(?)のような、役所のような建物で、入口で厳重な手荷物検査が行われている。ホテルをチェックアウトした後で、全ての荷物を持っている状態の僕としては、検査を通過するのはかなり面倒に思われた。しかしせっかく書いた手紙を出さないわけにもいかず、意を決して突入。と、やはり捕まった。

リュックの中を全て見せるように言われ、ドライヤーやらシェーバーやら何から何まで取り出された。しまいには、予備の財布についていたウォレットチェーンが危険だと言われ、チェーンを処分してからまた来てくださいと、建物の外へ強制的に出されてしまった。僕も半ばヤケになり、捨てればいいんだろ、捨てれば、と道端のゴミ箱にチェーンを捨て、もう一度検査場へ。今度はどうにか通過できた。

郵便局のおじさんは親切だった。「I'd like to mail these letters to Japan!」というメモを見せると、笑顔で対応してくれた。

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郵便局を出、ついでにリトルトーキョーを散策することにした。日本人街らしく、あちこちに日本語の看板が見える。しばらく歩いていると、「山水亭ラーメン」という看板があるではないか。これはもしや‥と入ってみる。店員はアジア顔だが、「いらっしゃいませ」の発音からして日本人ではない。「stew pork ramen」とサッポロビールを注文した。ラーメンはトンコツ味だが、あまり美味くはない。麺はノンフライ麺を食べているようで、チャーシューは臭い。熊本の山水亭とは全く関係がないようだった。

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そしてこの旅の最後の目的地、ハリウッドを目指す。メトロのLittle Tokyo駅からゴールドラインに乗り、Union駅でレッドラインに乗り換えてHollywood/Highland駅へ。ハリウッドと言っても、生の撮影現場を訪れることができるわけではなく、「チャイニーズシアター」や「エジプシャンシアター」といった映画館が数多く立ち並ぶエリアが、一つの観光地となっているのである。

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しかし、英語がわからないので映画を見るわけにも行かず、ハイランドの高い所からハリウッドサインを写真に撮ってみたり、チャイニーズシアター前の床に並べられた映画スターの手形・足形を見たり、少し歩いて“You Are the Star”という壁画を見たりした。あわよくばどこかでお土産を買いたいと思っていたが、結局それらしいものも見つからず、15時には空港へ向かうメトロへ乗り込んだ。

17時過ぎ、ロス空港着。音楽を聞きながら18時45分のチェックイン開始を待つ。定刻にチェックインカウンターへ行くと、既に長蛇の列(中国人)ができていた。チェックイン、手荷物検査にかなりの時間を要し、2時間近くかかってようやく開放された。

搭乗ゲートの前でひたすら出発を待ち、0時に飛行機は離陸。時間も時間なので、当然眠気が襲ってきて、ウトウトしていた。飲み物が配られ、ビールを貰ったら、すぐに眠ってしまった。1時ごろ、飯が配られた(1時に一体何の飯なのだろうか?体内時計が完全に狂い始めた)ようだが僕は寝ていたので、気づけば勝手にビーフのプレートが置かれていた。既にまわりの人達は食べ終えていて、僕も急いで食べたが、またすぐに眠りに落ちてしまった。

それから15時間もフライトは続いた。そのほとんどは寝ていたが、10時間もするといい加減目が覚めて、備え付けのタッチパネルで映画「エヴェレスト~神々の山嶺~」を観た。「神々の山嶺」の漫画を僕は持っていて、この映画「エヴェレスト」も映画館に観に行ったことがある。その時も「お粗末だなぁ」という感想しかなかったが、改めて観てもやはり、お粗末だった。

離陸後13時間ほどで朝飯(?もはや何の飯かわからない)が出た。これまでの機内食の中で一番不味かった。卵焼き・ベーコン・ポテト・フルーツだったが、ポテトなどは廃油でもぶっかけたのかというような味だった。何やかんやで、広州時間で朝7時前、広州白雲国際空港に着陸した。

トランジットの手続きを終え、搭乗ゲートへ。トイレ(大)をかなり長い間我慢していたので、ゲート前のトイレに行ったが、洗面器や便器がTOTO製なのを見て、少し誇らしくなった。

 

‥と、ここで旅の"メモ”は終わっている。この後は、広州白雲空港を発ち、5時間ほどのフライトを経て、9月25日(日)の昼過ぎに羽田空港へ着いた‥と記憶しているが、メモには残っていない。これを書いているのは2017年2月5日。アメリカ一人旅のうちサンフランシスコ編「坂と海と浮浪者と」「ヨセミテの精霊たち」、ロサンゼルス編「Say hello to Griffith」「帰国」の4本は、全て今日、旅の中で書き続けたメモを頼りに書き起こしたものである。昨年秋に執筆を中断してから、書かねば、書かねばとずっと気を揉んでばかりだったが、今回、ようやく区切りを付けることができた。

改めてこの旅を振り返るに、アメリカという国は実に豪快だ。この国が持つ自然のスケールは桁が違うし、出て来る料理もまたでかい。はたまた、今日の日本でカジノを導入するか否かで騒いでいる一方、アメリカでは今日も誰かが一攫千金に笑い、その逆も然り‥。

そのスケールのでかさ、豪快さを否応なく素晴らしいと認めるものでもない。恰幅の良い人達がカツカツと歩いているフィナンシャル・ディストリクト、そこから一歩出た途端に現れる、臭気漂う浮浪者の溜まり場‥そんな風景をサンフランシスコで見た。あの風景は、資本主義国家たるアメリカの縮図のようだった。

何はともあれ、日本に帰ってきて、自分はご飯と味噌汁が食える。それで十分だ‥そんな風に思うのである。

Say hello to Griffith

朝6時20分、起床。暗がりの中、二段ベッドの上で服を着替え、早々に宿を発った。朝のサンフランシスコは少し寒い。朝焼けが綺麗である。30分ほど歩いてBARTのPowell St.駅に着いた。BARTの乗り方にも慣れたものだ。1時間でサンフランシスコ空港に到着した。

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3回目の国内線、使用するのは9月20日と同じユナイテッド航空である。前回とチェックイン方法は同じなので、受託手荷物を預けるのもスムーズだった。手荷物検査を済ませ、搭乗ゲートへ向かう途中、朝食でも食べようかと思っていたところにバーガーキングが現れた。パリでマクドナルドのバーガーを食べたのを思い出して、ここはバーガーの本場アメリカ、バーガーキングは如何なるものかと食べてみることに。

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「Supreme Breakfast Sandwich」‥朝の極上のサンドイッチをあなたに‥とでも言っているのだろうか。9.5ドルのそのセットを注文し、出てきたのは巨大な縦長のハンバーガー、大量のハッシュドポテト、XLサイズはありそうなコーヒー。普通、朝にこれだけのものを食べるだろうか‥?いや、ここで僕の普通は通用しないのだ。さすがアメリカ‥

9時55分、離陸。国内線にはめずらしく、ドリンクとスナックのサービスがあった。僕は水をお願いした。

1時間半ほどでロサンゼルス国際空港に到着。4日ぶりにロサンゼルスへ帰ってきた。空港内は相変わらず「Welcome to Los Angeles!」という無機質な放送が繰り返し流れている。

差し当たっての目的地はロス市内にある「カリフォルニア・サイエンス・センター」だ。まず、シャトルバスに乗ってメトロ・グリーンラインのLAX駅まで向かう。メトロというから地下鉄かと思いきや、高架橋の上に駅がある。メトロでは、東京のPASMOと同じようなチャージ型のICカード「tap」を使う。1回の乗車に均一1.75ドルが必要で、路線間の乗り換えは1回まで無料。LAX駅からWillowbrook駅までグリーンラインで行き、ブルーラインに乗り換えてダウンタウン方面へ。更にPico駅でエクスポラインに乗り換え、3駅ほどでExpo Park駅に着く。サイエンス・センターの最寄り駅である。

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サイエンス・センターは、生物の進化の話やら何やらが子供向けにわかりやすく解説された体験型施設だが、英語がよくわからない。それらより、僕の一番のお目当ては、スペースシャトルエンデバー」実機の展示である。本物の迫力は並々ならぬものがある。この機体が25回も大気圏を脱して宇宙空間に行ったのだ。最早我々の想像の範疇を超えたドラマがそこに広がっていて、思わず唾を飲んでしまう。

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15時ごろセンターを出て、またメトロに乗って7th Street駅へ。降りて10分ほど西へ歩くと、今日のホテルが見えてくる。が、場末のモーテル感が半端ない。あまりにも古い。フロントに行くと、無愛想な親父がいた。日本人がよく泊まるのか(世界の歩き方にも載っているし‥)ジェスチャーを交えて説明してくれるなど、割と真面目な対応だった。

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部屋の中に入ると、これまたかなり古い内装。こんな粗末な部屋は国内外を旅した中でも初めてだ。真っ暗なテレビに「Press Select Button!」と表示されているのに、リモコンがどこにも無い。お粗末過ぎる。とりあえず風呂に入ってみると‥ロクに掃除していなそうな水回りだ。女性の髪の毛が落ちていた。

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18時前からホテルの外に出て、近くにある「Original Pantry Cafe」に足を運んだ。「Cafe」なんて言っているが、れっきとしたステーキハウスである。地球の歩き方読者御用達の店らしい。そうとあれば行かないわけには行くまい。というわけで、地球の歩き方が「ニューヨークステーキが$21.50と他店では考えられない」と言っているニューヨークステーキを注文。太めのおばちゃんがオーダーを取りに来たので、僕は元気に「New York!」と言ってやった。

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出てきたステーキは、かなりでかい、でかいが食べられなくはない量だ‥しかし、ちょっとパサついている(ミディアムで注文したからか?)。そして、付け合せのマッシュポテトをカリカリに焼いたもの、これがかなり腹に来た。最後は、食べすぎて吐きそうになった。

19時半に、Eというツアー会社のワゴン車が僕を迎えにホテルへやって来た。この日の夜は、「グリフィス天文台」から夜景を見るツアーに参加することになっていたのだ。

グリフィス天文台はロス市内の山の上に建っていて、土日であれば往復バスが走っているものの、平日に一人で辿り着くことは不可能であることがわかった。グリフィスへ行くためには現地ツアーに参加するしかない。日本を発つ前、僕は色々なツアー会社が主催する現地ツアーを調べ上げた。しかし、JTBやHISなどの主要ツアー会社がやっているものは、どれも「ディナー付き」になっていて、ウン万円もするものばかりだった。そんな中、天文台へ連れて行ってくれるだけ、5,000円ぽっきりのツアーを主催していたのがE社だ。かなりニッチなツアー会社だ、信頼おけるのか‥と思いつつも、トラブルになったらそれはそれで面白い、と申し込んでみることにしたのである。

僕を迎えに来たドライバー兼ガイドは、ピエロのようなひょうきんな男だった。やはりニッチなツアー会社は一味違う。僕を乗せた後もロス市内を回って数人を拾い、最終的にツアー客は10人程度になった。

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ともかく、上に書いたように1人でグリフィスへ行くのは無理なので、こうやって連れて行ってもらえるのは本当にありがたかった。夜景ツアーと銘打っていて、確かに夜景にも興味はあったが、天文台の中をあちこち見て回ることができて嬉しかった。何を説明しているのかよくわからないものの、とにかく宇宙は壮大で、ロマンの塊なのだと感じた。もっと宇宙のことを知りたくなった。

22時に天文台を出て、ツアー客を各ホテルに降ろしていく。僕も自分のボロホテルの前に降ろしてもらった。23時過ぎの暗い夜道を歩き、多少のスリルを味わいながら、7th Streetのセブンイレブンに行った。水とキットカットを買って、ホテルに戻った。

もう一度風呂に入った後、グランドキャニオンで買ったポストカードを使って、日本の大事な人達に手紙を書いた。長かったアメリカ一人旅も、明日が最終日である。

ヨセミテの精霊たち

スマホの目覚まし時計を朝5時45分にかけていた。同部屋の皆に申し訳なかった。この日はヨセミテ国立公園へ行く現地ツアーに申し込んでいて、7時に近くのホテルのロビーで待ち合わせをしているのである。共同シャワールームでシャワーを浴び、トイレのコンセントを使ってドライヤーをかけ、ホテルを出た。

今回のツアーは、グランドキャニオンツアーの時ほどの人数はいない。全部で16人だとツアー引率者(日本人のおっさん。そのずんぐりとした風貌から、ツアー関係者からは“くまさん”と呼ばれているらしかった)は言っていた。トラックのようなバスのような車に乗せられ出発。“くまさん”が運転しながら、マイクで無骨なガイドをしている。そんなガイドを片耳に聞きながら、僕は早速眠りについてしまった。

1時間半おきぐらいに休憩があったと思う。グランドキャニオンツアーに比べてガイドの話が面白くなく、車中の雰囲気はあまり覚えていない。

12時にヨセミテ国立公園に到着。グランドキャニオンほどの迫力はなかったが、これはこれで、まあ、素晴らしいかな‥という印象だった。グランドキャニオンを訪れた時、何か風景画を見ているような気分だったと書いた。ヨセミテもまた然りで、遥か高くそびえるハーフドームやエル・キャピタンは、凄い、確かに凄いのだが‥何か言葉が出てこない。

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ただ、グランドキャニオンとヨセミテの違いとして感じたのは、その一帯に荘厳で神聖な、安い言い方をすればスピリチュアルな空気が満ちていたということである。呼吸する度に瑞々しい空気が入り込み、体が浄化されるようだった。ヨセミテは風景を楽しむより、ヨセミテが持つ雰囲気そのものを感じることに意義があるのかもしれない。

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15時に公園を出た。休憩を挟みながらサンフランシスコへ戻る長い道が始まった。途中、休憩で降り立ったガソリンスタンドで、Michelle Branchの「Everywhere」が流れていて、とてつもなく懐かしい気持ちになった。中学3年生の時に、好きで何度も聞いていた。15年も前の曲である。日本では既に忘れられた曲かもしれないが、アメリカでは、今でもこうして時たま流れているのだろうか‥

すっかり日も暮れた19時、サンフランシスコのダウンタウンへ戻ってきた。昨日の夜にロクな食事ができなかった僕としては、今日こそちゃんと店に入って料理を食べたかった。サンフランシスコといえばチャイナタウンだ、と勝手に思い込んでいたので、世界の歩き方を使ってチャイナタウンへの行き方を調べた。しかしホテルからチャイナタウンまで、歩いて30分はかかる(他に手段無し)。既に辺りは真っ暗で、この夜道を30分も歩くのか‥と思うと少し気が滅入ったが、美味い飯のためだ。頑張って歩くことにした。

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20時、スマホで探し当てた名店「湖南又一村(Hunan Home's Restaurant)」に辿り着いた。メニューを貰うと、中国語と英語が並んでいる。どれも、どんな料理かわかるようで、イマイチよくわからない。料理の写真が並んでいるのがありがたい。しかしどの写真も唐辛子のマークが付いていて、何か危険そうだ。僕は「カシューナッツと鶏肉炒め(13ドル)」と「牛肉チャーハン(10ドル)」、「青島ビール(5ドル)」を注文した。どれもボリュームがあった。チャーハンがかなり美味い。カシューナッツと鶏肉炒めも、結構いける。ビールは‥日本のものが美味い。

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僕は7割方満足して店を出た。一方でがっかりしたことが2つある。1つは、食べている途中で、早く帰れよと言わんばかりに請求書を持ってこられたこと。アメリカでは普通、「Check please.」と言わない限り請求書を持ってこない(今回の旅を通して、チェックをお願いする前に請求書を出されたのはここだけである)。もう1つは、レジに「破れたお札お断り」と貼り紙をしておきながら、ぐちゃぐちゃ、しわくちゃ、しみつきのお札をお釣りに出してきたことだ。今にも破れそうで、当然、駅の自動券売機では使えなかった。白人には出せないが、日本人になら出してしまえ、とでも思っているのだろうか。やはりアジア人は白人に比べて軽く見られているのだ‥と痛感して悲しくなった。

7割の満足と3割の悲しさを胸に、また30分歩いて宿に戻った。フロント業務は朝9時からと聞いていたが、僕は明朝6時半にはホテルを発つ予定だったので、どうやってチェックアウトすればよいかわからなかった。とはいえ英語を話すことに自信が無かった僕は、メモ帳に「Can I check out tomorrow early morning? I board plane at 9:30.」と書いて、フロントのお姉さんに見せた。お姉さんは、心配ご無用、と言わんばかりに、カードキーをフロント前の箱に入れてねという身振り手振りをしてくれた。

シャワー室でシャワーを浴び、23時にはベッドに横になった。サンフランシスコで眠るのは、今日が最後である。