古都へ

4月3日から5日まで、二泊三日で京都へ旅に出た。
この記事を書いているのは、実は8月15日である。筆を執るまでなぜここまで時間が掛かってしまったかは、後の日記に書くとして、4ヶ月も前のことなのでかなり記憶が薄れていて、どこで何をしたかが曖昧になっている。とりあえず、曖昧な記憶なりに書き連ねておく。

●4月3日
京都に向かうのは昨年8月ぶりである。なぜ京都へ行く気になったかといえば、3月末に川端康成の「古都」という小説を読んだからだ。「古都」は、昭和30年代であろうか、その頃の京都を舞台にして、呉服屋の娘の女の子と、生き別れになったもう一人の女の子の縁を描く物語で、春夏秋冬と季節の移り変わる京都を描いているのも一つの見所になっている。春の章では、主人公たちが平安神宮へ花見に行き、谷崎潤一郎の「細雪」の一節を引用して「まことに、ここの花をおいて、京洛の春を代表するものはないと言ってよい」と書かれていたり、家族で仁和寺の御室桜を見に行くシーンがある。とにかく、この小説を読んで、僕は京都の桜を見たくなり、急遽京都を目指したのである。
昼1時頃に東京駅から新幹線に乗り、京都駅へ向かった。この日は特段観光するつもりはなく、夕方に宿に着いたら、先斗町かどこかへ出て軽く飲むことにしていた。宿は、昨年8月にもお世話になった民宿である。宿で挨拶をすると、女将さんは、覚えていますよ、よく来ましたねと言って茶菓子を出してくださった。女将さんは読書好きではなかったかと思い、「古都」を読んで桜を見たくなったんです、と伝えると、たしかに古都に描かれたのはいちばん良い頃の京都だね、と仰た。女将さんは「細雪」も是非読んでみるとよい、仰っていた。
夜は、四条へにしんそばを食べに出た。前回の京都から、僕はにしんそばを好きになってしまった。四条大橋のすぐ側にある老舗「松葉」を訪ねることにした。にしんそばと酒を貰い、とてもオツであったが、観光客の中国人が非常にうるさく、興冷めしてしまった。
宿に戻ったのは22時頃だっただろうか。その日は他に子連れの家族と男女カップルの2組が泊まっていた。僕は音を立てないように早々に寝てしまった。

●4月4日
平安神宮で桜を見ることが一つの大きな目的ではあったが、その前に八坂神社を訪れた。参道にテキ屋が無数に並んでいた。隣の円山公園も覗いてみたが、花見客でごった返していた。

平安神宮には昼1時頃に着いた。平安神宮には、裏手に「神苑」という広大な庭園があって、ここにたくさんの桜が植えられている。

たしかに、ここの桜を除いて、他に京都の春を代表するものはない。というほど、春という春を堪能することができた。ただただ桜だけを見る時間がこれまでにあったろうか。くさい書き方になってしまうが、この時間を過ごすことができる自分は幸せ者だと思ってしまった。

ここからバスに乗って銀閣へ。高校の修学旅行で金閣を訪れたことはあったが、こちらは初めてである。

南下して清水寺へ。この日の最後の目的地である。清水寺は定期的に夜間参拝を実施していて、この日も18時ごろから境内をライトアップしていた。僕は19時過ぎに着き、これもまた生まれて初めてであろう夜桜を堪能した。ここでは、池の水面に映る桜の姿が、鏡に反射するように狂いなく綺麗に表れていて、衝撃を受けてしまった。

夕飯は、先斗町でおばんざいを食べたあと、五条まで歩いて、焼き鳥屋に入った。一人で四合ほど酒を飲んでしまい、だいぶ酔っ払って友人に何かよくわからないメールを送っていたと思う。しかし、京都のおばんざいというのは何か独特の落ち着いた雰囲気を醸していて良い。「大根のたいたん」は、要は大根の煮物なのだが、食べるにあたって何か構えてしまって、だけどとても美味いし、「里芋の唐揚げ」なんて、僕は生まれて初めて食べたが、こんなに素朴な美味しさがあるのかと感激してしまった。

●4月5日
京都最終日となるこの日は、仁和寺北野天満宮を訪れることにした。

仁和寺へは、京福電鉄嵐山線四条大宮駅から帷子ノ辻駅まで乗り、北野線に乗り換えて御室仁和寺駅で下車することになるが、途中の鳴滝駅から宇多野駅の間に、線路の左右に桜が並ぶ「桜のトンネル」があって、このトンネルを通る時に窓から見える風景には、本当に鳥肌が立ってしまった。電車が桜の花の中をかい潜ってゆくのである。この時期にこの電車に乗ることでしか見ることができないこの風景は、知る人ぞ知る絶景の花見スポットだった。

仁和寺の桜は俗に「御室桜」と呼ばれていて、4月頭では満開にならない。幾分か遅咲きとなるこの桜は、これはこれで愛嬌があって親しまれているようであった。しかし、とにかくこの日は雨がひどくて、桜に水が滴りすぎていた。

北野線の終点である北野白梅町駅から北野天満宮へ。
この旅でも欠かさず御朱印帳を持ち歩いていて、各所で御朱印を押していただいたが、北野天満宮の御朱印はとりわけシンプルで僕好みのデザインだった。

北野天満宮を後にして、京都駅から新幹線で東京への帰路についた。こうして二泊三日の京都旅行は幕を閉じた。
今回の京都は素晴らしいものだったが、一方で旅を通じて常に興ざめした感じを味わっていた。桜の時期の京都は、特に観光客が多いと聞くが、たしかに外国人、とりわけ中国人が非常に多く、たいてい彼らはうるさかった。京都の文化は、古く寂びたものが静かに佇んでいるというのが僕のイメージである。彼らが放つノイズは、京都のそういった雰囲気を台無しにしている。
また、一日目に宿の女将さんと話した時、女将さんはこう仰っていた。私はずっと京都に住んでいて、昔は町のどこからでも四方の山を見ることができた。塩小路橋から見る山々が好きだった。しかし、今はあちこちにビルができてしまって遮られてしまい、それが悲しいとのことだった。川端康成が古都を書いたのは、古きよき時代の京都の情景を残すためだったとも聞いたことがあるが、時代の流れが本来の姿を壊していっているのは、興ざめを越えて、見るに耐えない。
女将さんは、私は春や夏よりも冬の京都が好きです、華やかさはないけど、冬の鴨川沿いなんかを、是非歩いてみてくださいとも仰っていた。寂びたもの、朽ちたものを理解できるのは日本人だけだ。僕はまた京都に来ようと思った。