古都の冬

2月6、7日の二日間で京都へ行った。

京都は昨年4月振りである。前回の宿で、女将さんから「冬の京都も歩いてみてください」と言われたのを、あれからずっと心に留めていて、2月になったら行こうと決めていた。

6日は朝11時ごろに東京駅から新幹線に乗った。京都駅に着いたのは13時過ぎだったと思う。翌日は宮津天橋立に行くつもりだったので、京都市内を見て回るのはこの日が主のはずなのに、あいかわらずの遅い到着で時間が大きく限られてしまった。

まず、京都駅前から市バスに乗って、下鴨神社へ向かった。

次回のために記しておきたいが、狭い道路の多い京都市内でバスに乗るのは自殺行為だ。駅前のターミナルから、乗り換えせずに一本で目的地へ着けるほど、路線の網が発達しているのは、確かに便利ではある。しかし市街地の道路は常に渋滞していて、車は一向に前へ進まない。結局、京都駅から下鴨神社まで1時間もかかってしまった。市街地では、素直に地下鉄を使うほうが良い。

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下鴨神社は、正しくは賀茂御祖(かもみおや)神社という。南方に糺(ただす)の森という原生林が広がっている。

下鴨神社を出、市バスでさらに北へ向かう。20分ほどで、上賀茂神社(正しくは賀茂別雷(かもわけいかづち)神社)に着く。上賀茂神社下鴨神社の二社は、5月に「葵祭」を行い、この祭は八坂神社の祇園祭平安神宮時代祭とともに京都の三大祭に数えられる。

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この上賀茂神社は、観光案内所で配られているようなマップでは、たいてい北の外れに位置している。市街地からすると、割と閑静な場所にある。今度はここから右京区の嵯峨野を目指す。バス・JRを乗り継いで1時間ほどである。

嵯峨野では、竹林の小径、天龍寺渡月橋を訪れることにしていた。

竹林の小径(こみち)には、思いのほか多くの人が見物に来ていた。何の風情も無い気がして、写真を撮る気が失せてしまった。

天龍寺京都五山の第一位。ここに着いた時点で17時過ぎ、閉門で中に入れなかった。

渡月橋は、平安時代からこの地に架けられている橋だそうで、現在のものは戦前に完成したものである。欄干が木造で趣があった。

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18時を過ぎて暗くなってきたので、宿へ向かうことにした。今回の宿は祇園にあるゲストハウスである。前回まで利用した塩小路通の民宿は、女将さんが2月中には京都にいないとのことで、利用できなかった。しかし今回の宿は便の良い場所に立地していて、内装も非常に清潔、何の申し分も無かった。

受付の女の子は台湾出身だった。とても流暢に日本語を話していた。この日起こった台湾の地震について労ると、私の家族は被災地とは離れたところに住んでいます、と元気に笑っていた。彼女に、この近くに美味しい飯屋は無いかと聞くと、うどん屋、ラーメン屋、お好み焼き屋、居酒屋を教えてくれた。最初の三者は外国から来た観光客へ勧める定番だろう。僕は居酒屋に行くことにした。

勧められた「遊亀(ゆうき)」という店は、蔵元から直に酒を仕入れていて、美味い日本酒を破格の値段で飲める。見た目は典型的な大衆酒場で、こういった店を台湾人の彼女がよく勧めてくるなと思って少し笑ってしまった。カウンターに通されると、左側に中国人の夫婦、右側に日本人の夫婦、どちらも三十代と思われる方々が座っていて、既に英語で話している。日本人の夫婦が、居酒屋のメニューをあれやこれやと紹介していて、僕はその間に座らされたのである。激しく居辛い気持ちでビールを飲んでいた。しかし、しばらくすると中国人の旦那が「これは何?」と、僕の天ぷらやなすの田楽を指差し、日本人の奥さんも「これ何ですか?」と僕に話を振る。そうして、何だかんだで僕も会話に混ざるようになり、酔いも程よく回って楽しく飲めるようになった。

ここで終われば楽しい酒の席の話であった。途中、僕の職業の話になった。僕は言葉を濁したが、「いいじゃん、教えてよ」と言われてつい素性を明らかにしてしまった。奥さんや中国人の夫婦は「そうなんだ!」というような反応をしていた。しかし旦那さんは明らかに機嫌が悪くなり、「君のような職業にありながら、なぜ英語を話せないのか、俺たちがいなかったら、君は彼らにどう日本を紹介できたんだ」と詰められた。確かに正論であり、正面からグサッと刺された気持ちになった。その席は急に楽しくなくなってしまった。

23時ごろだっただろうか、その席はお開きになった。僕は奥さんとフェイスブックの連絡先を交換して店を出た。そのまま一人お好み焼き屋に行って飲み直し、0時に宿へ戻った。

宿のリビングには、外国の若者が4人集まっていた。かなり酔いが回っていた僕は、その話の中に飛び込んでいった。しかし飛び込んだはよいものの、英語が全くわからない。僕の隣りに座っていたトムというオーストラリアの青年だけが、唯一日本語に堪能で、彼のおかげでなんとか他の3人のことも知ることができた。他の3人は皆韓国人で、27歳の男性、25歳の女性、24歳の男性。そして一番の頼りであるトムは19歳だった。最年長である僕が、全く英語を理解できない状況だ。翌日自分のベッドで目が覚め、自分の不甲斐なさが一気に思い出されて、いたたまれない気持ちになった。

 

(※旅から帰ってすぐ1日目の行程を書き留めたが、その後2日目のことを書く気が全く起きなかった。この京都旅行において僕が受けたインパクトは1日目夜のことが全てであり、これ以上の記述は蛇足にしかならない。しかしこのままだと尻切れ蜻蛉の日記になってしまうので、簡単に記しておく。今日は3月19日である。)

 

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宿をチェックアウトし、八坂神社に立ち寄った後、四条から五条まで鴨川沿いの遊歩道を歩いた。春の宿で女将さんから言われていたからである。だが、景色はほとんど目に入ってこなかった。昨夜の旦那さんからの言葉が頭の中でリフレーンし続けていた。

清水五条駅から京阪電鉄に乗って伏見稲荷駅へ。伏見稲荷大社を訪れた。観光客でごった返していて、千本鳥居では立ち止まることすらできなかった。

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稲荷駅からJRを乗り継ぎ、特急で2時間ほどして天橋立駅へ。ケーブルカーに乗り、山の上にある天橋立ビューランドに降り立つ。ここで天橋立が一望できる。

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ケーブルカーを下り、歩いて智恩寺に向かう。本尊は文殊菩薩。「三人寄れば文殊の知恵」という諺の「文殊」とは文殊菩薩のことである。とりわけ、福井県にある高速増殖炉もんじゅ」の名は、この智恩寺の文殊菩薩から取られているらしい。

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天橋立駅から再び京都駅に戻り、新幹線で東京へ戻った。

めぐり合わせがめぐり合わせを呼んだ不思議な旅だった。その連鎖は最終的に自分にとって何かを考えるきっかけを作った。今すぐに、とはいかないが、いつか必ず、英語を話せるようになろう‥