ヨセミテの精霊たち

スマホの目覚まし時計を朝5時45分にかけていた。同部屋の皆に申し訳なかった。この日はヨセミテ国立公園へ行く現地ツアーに申し込んでいて、7時に近くのホテルのロビーで待ち合わせをしているのである。共同シャワールームでシャワーを浴び、トイレのコンセントを使ってドライヤーをかけ、ホテルを出た。

今回のツアーは、グランドキャニオンツアーの時ほどの人数はいない。全部で16人だとツアー引率者(日本人のおっさん。そのずんぐりとした風貌から、ツアー関係者からは“くまさん”と呼ばれているらしかった)は言っていた。トラックのようなバスのような車に乗せられ出発。“くまさん”が運転しながら、マイクで無骨なガイドをしている。そんなガイドを片耳に聞きながら、僕は早速眠りについてしまった。

1時間半おきぐらいに休憩があったと思う。グランドキャニオンツアーに比べてガイドの話が面白くなく、車中の雰囲気はあまり覚えていない。

12時にヨセミテ国立公園に到着。グランドキャニオンほどの迫力はなかったが、これはこれで、まあ、素晴らしいかな‥という印象だった。グランドキャニオンを訪れた時、何か風景画を見ているような気分だったと書いた。ヨセミテもまた然りで、遥か高くそびえるハーフドームやエル・キャピタンは、凄い、確かに凄いのだが‥何か言葉が出てこない。

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ただ、グランドキャニオンとヨセミテの違いとして感じたのは、その一帯に荘厳で神聖な、安い言い方をすればスピリチュアルな空気が満ちていたということである。呼吸する度に瑞々しい空気が入り込み、体が浄化されるようだった。ヨセミテは風景を楽しむより、ヨセミテが持つ雰囲気そのものを感じることに意義があるのかもしれない。

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15時に公園を出た。休憩を挟みながらサンフランシスコへ戻る長い道が始まった。途中、休憩で降り立ったガソリンスタンドで、Michelle Branchの「Everywhere」が流れていて、とてつもなく懐かしい気持ちになった。中学3年生の時に、好きで何度も聞いていた。15年も前の曲である。日本では既に忘れられた曲かもしれないが、アメリカでは、今でもこうして時たま流れているのだろうか‥

すっかり日も暮れた19時、サンフランシスコのダウンタウンへ戻ってきた。昨日の夜にロクな食事ができなかった僕としては、今日こそちゃんと店に入って料理を食べたかった。サンフランシスコといえばチャイナタウンだ、と勝手に思い込んでいたので、世界の歩き方を使ってチャイナタウンへの行き方を調べた。しかしホテルからチャイナタウンまで、歩いて30分はかかる(他に手段無し)。既に辺りは真っ暗で、この夜道を30分も歩くのか‥と思うと少し気が滅入ったが、美味い飯のためだ。頑張って歩くことにした。

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20時、スマホで探し当てた名店「湖南又一村(Hunan Home's Restaurant)」に辿り着いた。メニューを貰うと、中国語と英語が並んでいる。どれも、どんな料理かわかるようで、イマイチよくわからない。料理の写真が並んでいるのがありがたい。しかしどの写真も唐辛子のマークが付いていて、何か危険そうだ。僕は「カシューナッツと鶏肉炒め(13ドル)」と「牛肉チャーハン(10ドル)」、「青島ビール(5ドル)」を注文した。どれもボリュームがあった。チャーハンがかなり美味い。カシューナッツと鶏肉炒めも、結構いける。ビールは‥日本のものが美味い。

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僕は7割方満足して店を出た。一方でがっかりしたことが2つある。1つは、食べている途中で、早く帰れよと言わんばかりに請求書を持ってこられたこと。アメリカでは普通、「Check please.」と言わない限り請求書を持ってこない(今回の旅を通して、チェックをお願いする前に請求書を出されたのはここだけである)。もう1つは、レジに「破れたお札お断り」と貼り紙をしておきながら、ぐちゃぐちゃ、しわくちゃ、しみつきのお札をお釣りに出してきたことだ。今にも破れそうで、当然、駅の自動券売機では使えなかった。白人には出せないが、日本人になら出してしまえ、とでも思っているのだろうか。やはりアジア人は白人に比べて軽く見られているのだ‥と痛感して悲しくなった。

7割の満足と3割の悲しさを胸に、また30分歩いて宿に戻った。フロント業務は朝9時からと聞いていたが、僕は明朝6時半にはホテルを発つ予定だったので、どうやってチェックアウトすればよいかわからなかった。とはいえ英語を話すことに自信が無かった僕は、メモ帳に「Can I check out tomorrow early morning? I board plane at 9:30.」と書いて、フロントのお姉さんに見せた。お姉さんは、心配ご無用、と言わんばかりに、カードキーをフロント前の箱に入れてねという身振り手振りをしてくれた。

シャワー室でシャワーを浴び、23時にはベッドに横になった。サンフランシスコで眠るのは、今日が最後である。