雪月花の時、最も友を思ふ

銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも

山上憶良の有名な万葉集の歌である。

銀も金も玉も、どんな宝であっても子供には敵わない、という親の思いは、千年以上昔の古い時代から変わらずに在り続けるものだ。

そしていつの時代にあっても、新たな生命の誕生というのもまた、この上なく喜ばしいことである。

Hの奥さんであるIさんがご懐妊されたそうである。

川端康成の「千羽鶴」で、次のようなシーンがあった。

 友人は結婚していて、赤ん坊があった。赤ん坊になれない菊治は、生れて幾日くらいになるのか、その割に大きいのか小さいのか、見当がつきにくくて、あいさつに迷った(略)。

 いっさいはその赤ん坊を中心にして、赤ん坊ばかり見ているような友人夫婦の生活に、菊治はのけものの感じだったが、帰りの汽車に乗ると、見るからにおとなしそうな細君の、生気の抜けたようにやつれながら、うっとりと赤子を抱いていた細君の姿が、菊治の頭に浮んで離れなかった。(略)

 菊治は家に帰って、縁側に寝そべった今も、神聖な哀感とでもいうようななつかしさで、その細君の姿が思い出されるのだった。

きっと僕も、11月に生まれるというその赤子を前にして、なんと声をかけてよいのか迷ったりするのだろう。そしてHとIさん、赤子の3人の姿を見ながら、のけもののように感じつつ、その3人の姿に喜びを感じるのだろう。

神聖な哀感。今はただ、嬉しい‥。