ケニーズの宴

半年振りにAとキャンプに行った。

場所は埼玉県飯能市。都内から車で2時間ほどである。前回に続き今回もレンタカーを借りた。13日は朝から小雨がぱらついていたが、飯能に近づいたあたりから本格的に降り始めた。

キャンプサイトの設営はかなり大変だった。Aはどこかで安く買った、アウトドアには似合わない透明の雨合羽を着ていた。ペグを打つハンマーが雨で滑り、どこかへ飛んでいきそうになった。

我がテント・ローリーポーリー、そしてタープ・ムササビウィングの設営を一通り終えて、やあやあ待っていましたよと言わんばかりに二人でハイネケンの栓を開けた。外で飲む瓶ビールは何故こうも美味いのだろう。

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雨に濡れて身震いしていた我々は早速焚き火を始め、その上にスキレットを置いてピザ・アヒージョ・餃子などを楽しんだ。Hとキャンプをする時もそうだが、僕は調理にあまり明るくないので、道具の準備や手入れに徹する。この日の炊事班長はAであった。Aはざくざくと野菜を切り、淡々と塩こしょうで味を整えてオリーブオイルを注ぐ。A班長特製のアヒージョである。が、僕の調達してきたオリーブオイルの量が圧倒的に足りず、半ば野菜のオリーブオイル炒めのようになってしまった。

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キャンプに来たら必ず行う、唯一僕主導の料理に燻製がある。熱燻は温度調整にかなり敏感にならなければならないところがあり、燻製器の温度計をヒヤヒヤしながら見ることになる。案の定、1回目の燻製は3段目のミックスナッツが黒い煙を上げて炎上し、失敗。しかし2回目は割とうまくいって、サクラチップの風味が豊かなししゃもが完成して一同歓喜の声が上がった。

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飽きることなく2人は飲み続け、瞬く間に空いたビールの缶が並んだ。酩酊しながら2人の調理は続く。我々最後のミッションはスキレットを使ったパエリアだった。が、酔った我々に正常な調理ができるはずもなく、水に戻したサフランを盛大にこぼすA。炒めた鶏肉を全て地面に落とす僕。最後の料理は散々であった。それでも、残った材料で作ったパエリアに思わず「美味い!」と叫んだのを記憶しているから、やはり野外で作る料理には格別の魅力があるのだと言える。

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翌日はコーヒーと、少量のパン・炒めたウインナーで済ませた。僕は前日から薬を飲むのを忘れていて、二日酔いも相まって急に体調が悪くなり、一言も喋れなくなってしまった。帰りは全てAに運転してもらった。車中、僕の震える吐息が聞こえてきて、尋常ではなかったとAが言っていた。キャンプ終わりの気だるさの残る中、運転を任され、隣の同乗者は死にそうになっている。Aには本当に申し訳なかった。

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今回のキャンプで、僕のものと同じスノーピークのシングルチタンマグをAにプレゼントした。関東でAとキャンプに行ったのは2回だけだったが、その思い出を忘れないでほしい。そしてAが九州に帰った時には、そのマグを持ってまたキャンプに来てほしい‥

男山、君の袖を濡らす

吐く息が煙草の煙のように白く濃い。凍てつく空気があちこちから顔の肌を刺す。ここは日本の最果て、ここは未だ見ぬ雪国。僕はオホーツクの流氷を見るため、北海道の網走にやって来ていた。生まれて初めて踏む北海道の大地。初めての地が札幌でも函館でもなく、網走とはオツな話ではないか‥

2月25日、夜20時。僕は北海道北東部の女満別空港に降り立った。流氷を見るには、網走のオーロラ号に乗るか、紋別のガリンコ号に乗る必要がある。これらの街の最寄りが女満別だという知識だけを得て、僕はここにやって来た。女満別など聞いたこともない。僕は一体どこにいるのだろう‥?

女満別空港からリムジンバスに乗って30分ほどで、網走市内に辿り着く。道路に車の姿はまばら。道沿いに店の明かりなどもない。一帯は静寂だけが支配し、寒さが一層引き立つようである。

見知らぬ土地の居酒屋に入るのは旅の楽しみである。網走の中心部にある商店街で、ぽつぽつと店が開いている。僕はあてもなく商店街をさまよい、活気のありそうな「喜八」という店に入った。

鯨の肉をつまみながら、網走の酒を2合ほどもらった。隣の席で中国人の家族連れが、メニューを理解できずに店員と問答を繰り返していた。

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ほろ酔いになって店を出る。ホテルは商店街からほどなく近いところにある。網走の市街地にはこのホテルと、あともう1件ほどしかないようだ。月曜日は休暇を取ったから、このホテルに2泊することになる。果たして明日は、流氷を見ることができるのだろうか。流氷は気まぐれな生き物のようで、必ずしも沖合に来てくれるとは限らない。一抹の不安を胸に、僕は布団に入った‥

翌朝、9時半に目が覚める。11時に出発するオーロラ号をめがけ、港へ急ぐ。朝の網走は見渡す限りの雪、目に映る画面は一面の白である。相変わらず車の姿は少ない。僕の雪を踏む音がさくさくと響く。

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オーロラ号の乗り場は、道の駅「流氷街道網走」の中にある。チケット売り場で、大人一枚ください‥と言わんとして、手が止まった。係員の後方に掲示された、「本日、流氷はありません」という貼り紙。なんということだ‥。オーロラ号のホームページによれば、ほんの2、3日前まで良質な流氷を見ることができた、そして今日も見ることができるはずだった。しかし、流氷は非情だ。僕は受付の前で立ち尽くすしかできなかった。

もはや、今日、この場にいても意味はない。僕は道の駅を出、網走にある何かを求めて歩き始めた。ここから近いところに、網走神社があるらしい。まずはそこへ行ってみよう‥

網走神社は、丘の上にあった。真っ白な坂道が遠く先まで続き、その坂道を僕だけが一人登っていく。

神社は雪をまとって、ただただ静寂に包まれていた。

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網走神社を後にして、一旦道の駅へ戻る。バス停で周遊バスに乗り、網走監獄へ行くことにした。網走監獄は網走刑務所が現在の地に移るまで刑務所として機能していた。現在はその姿をそのままに博物館として残されている。五翼放射状の舎房は日本最古の刑務所施設であり、牢屋の並ぶ風景はあまりにも生々しい。

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しかし、網走に住む方には悪いが、これと言って目を引く観光施設が網走には少ない。まだ夕方前だったが、僕は早々にホテルに戻り、部屋で本を読んで過ごすことにした。読んだのは川端康成の「散りぬるを」で、ちょっとしたいたずら心でついには殺人を引き起こしてしまった男を題材にした話である。川端康成の文章は戦前、戦後でずいぶん読みやすさが違っているように思う。これは戦前に書かれたものだったのでかなり読みづらかった。どういう話なのかは理解できても、何を言いたいのかは僕には理解できなかった。

上にも書いたが、旅において、知らぬ店で飯を食うのは大きな楽しみである。今日の夜は何を食べようか‥ベッドの上で思案した末、ホテルからほど近い場所にある焼肉屋に行くことに決めた。

ひなびた外観の焼肉屋である。がらりと扉を開け、中に入る。客は少なく、ガスのチューブが繋がったコンロが置かれたテーブルが寂しく並ぶ。いかにも場末な雰囲気の焼肉屋だ。いいではないか‥こんな店で一杯やるのが、面白いのである。

さすが場末の焼肉屋である。2500円でビール3杯とたらふく肉を食い、満足して店を出た。網走に滞在できるのは明日が最後だ。明日こそは流氷を見ることができるだろうか。それは神のみぞ知るところ‥一抹の期待を胸に、僕は布団に潜った。

翌日、流氷を見る以外に何もすることがなかった僕は、朝からだらだらと身支度をし、チェックアウト期限の11時ぎりぎりにホテルを出た。再び道の駅へ行き、受付の掲示を見る。昨日は「流氷はありません」だった。今日は‥「本日、流氷あり」。東京から網走くんだりまで来て、2泊もして何も見れずに帰ったのでは、何をしに来たのかわからない。僕はほっと胸をなでおろした。

オーロラ号は砕氷船の一種である。仕事の関係で、2年前、南極観測船「しらせ」(オーロラ号と同様、自身の重さをもって砕氷して進む船)に携わっていた僕としては、身をもって砕氷船を体感することができて、ささやかに興奮した。

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オーロラ号が港を出る。僕は甲板に出て、流氷が現れるのを待った。沖合に進むに連れ、顔に当たる風が一層冷たくなり、船内に戻ってしまいたい気に駆られる。20分ほどして、船は流氷帯に直面した。

船が進むと、海面一帯が流氷で埋め尽くされ、四方見渡す限りの氷である。カメラのシャッターを切りながら、僕は思った。僕は一体どこまで来てしまったのか。僕は今、オホーツクの洋上で、流氷を見ている。限りなく遠くへ来たものだ‥と。

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1時間の周遊を終え、オーロラ号は港へ帰る。僕の旅の目的も果たされ、この旅は終わった。流氷を見た網走。場末の焼肉屋で焼肉を食べた網走。ホテルで時間を潰した網走。たった2泊の網走だったが、何かしみじみとした思い出に溢れ、1泊の旅より遥かに名残惜しい気分に駆られていた。またいつか訪れる日が来るだろうか。その時は子供でも連れて‥そう思いながら、僕は女満別空港行きのバスへ乗り込んだ。

残り1年でやることリスト(2017.2.26)

何ら確定してはいないが、僕が東京にいるのは残りほぼ1年だと思われる(2016年6月現在)。東京を離れるまでにやっておきたいことをリスト化しておく。

●インド一人旅
2016年のシルバーウィークは飛石になっているので、そこでは行き辛い気がしている。2017年の正月か、ゴールデンウィークになるだろうか。フランス旅行の時のように自分で諸々手配し、自分の思うままに動くのが理想だが、インドの治安や職場の理解を考えるとツアーへの参加にせざるを得ないと考えている。(2016.9.3撤回)

眞鍋かをりの「世界をひとりで歩いてみた」を読み、彼女がツアーや旅行会社に頼らず自分で行程を組んでいるのを見た時、「自分の旅のあり方はこれだ」と確信した。確かにインドへ行きたいが、ツアーに頼るのは自分らしくないと感じる。インドへ行くのは、自分がもっと海外旅行上級者になってからにしよう。検討の結果、今年はアメリカへ行き、グランドキャニオンを見ることにした。(2016.9.17-25)

岩手県・平泉への旅
一昨年に日光で御朱印帳を購入してから、各地で御朱印を頂いていたが、先日の帰省時の藤崎八旛宮をもって御朱印帳一冊が終わった。平泉の中尊寺では、御朱印帳を新しく買った時にのみ、見開きで押していただけるという珍しい御朱印がある。ぜひその御朱印を頂きに参りたい。(2016.6.18-19)

●冬の白川郷の合掌造りに泊まり、ライトアップされた集落の夜景を写真に収める
2016年の実績を書くと、冬の白川郷は1月16日の土曜日から2月14日の土曜日までの土日の間、計7回に渡り集落一帯がライトアップされた。この時期に白川郷に泊まる野望を抱いているが、ライトアップのスケジュールが公表される半年前に宿は満室になってしまい、過去2回断念してしまった。次回がラストチャンスだと思って必ず部屋を確保したい。(2017.1.1断念)今年のライトアップスケジュールが発表されたが、仕事と折り合いがつきそうにない。何度も断念しているので非常に残念。来年以降にチャレンジしたい。

●富士山に登る
人生のうちで一度は富士山に登りたい。更に言えば、富士山頂で初日の出を見てみたい。(2017.1.1断念)一般に、富士山が山開きされるのは7月から9月上旬とのことで、この時期は仕事の繁忙期と重なるため挑戦することができなかった。また、僕の知識不足が露呈して恥ずかしい限りだが、初心者が冬の富士山に登るのは死と同義であり、山頂で初日の出を拝むのは不可能である。来年以降の夏にチャレンジしたい。

●北海道への旅
北海道には一度も訪れたことがない。九州へ帰る前に行ったほうがハードルが低いから、という理由に尽きる。具体的な行き先は未定。(2016.10.15追記)冬に流氷を見に行きたい。(2017.2.25-26)

●国立の美術館、博物館に行く
多くのナショナルミュージアムを訪れることができるのは東京に住む者の特権である。にも関わらず、未だ全てを制覇していない。行ったことがあるのは東京国立近代美術館国立新美術館だけだ。東京国立博物館(2016.7.9)国立科学博物館(2017.1.29)国立西洋美術館(2016.6.3)などに行かなければならない。

浅草演芸ホールor国立演芸場で寄席を見る
一度は東京の定席で落語を見てみたい。(2017.1.28、浅草演芸ホール)

両国国技館で相撲を見る
上と似ているが一度は両国で相撲を見たい。五月場所はまもなく終わってしまうので、九月場所か、来年の一月場所、五月場所を見ることになるだろう。

思いついたら、追加していく。

イトシマオをもてなして

Hが会社の研修で6日間ほど東京に滞在することになった。そこで1月28・29日の土日は、「東京のどんなランドマークにもある程度行ったことがある」というHをもてなす、「晩白柚東京ツアー」を行った。

 

●1月28日(土)

朝10時、品川駅に集合。築地市場へ移動して、まずは腹ごしらえである。築地市場海鮮モノを食べては面白くない。築地はカレーも美味いという話を聞いていたカレー好きの僕は、Hを連れてカレー屋「中栄(なかえい)」に足を踏み入れた。

ここのカレーは合いがけ(ハーフ&ハーフ)で食べるのが通のようだ。僕とHはビーフカレーとインドカレーの合いがけを注文した。

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市場のカレーを侮るなかれ、コクがあって非常に美味い。ボリュームも満点で満足である。店を出て一服し、Hは「早速いいもん食った‥」と呟いた。

来たついでに市場の中を散策した。市場の朝は早い。10時も過ぎれば市場で働く人達の仕事も一段落したように見える。

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築地市場を出て、浅草へ。僕とHが好きな漫画・ドラマ「孤独のグルメ」に登場する甘味処「梅むら」があるのだ。

浅草寺の雷門前は、いつもと変わらない人の多さである。

浅草寺を抜けて北に5分ほど歩くと、甘味処「梅むら」はある。

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孤独のグルメ」の主人公・井之頭五郎は、「梅むら」で煮込み雑炊を注文しようとするが、それが来月からのメニューと知って、代わりに「豆かん」をお願いする。その例に漏れず、僕達も「豆かん」を注文した。「豆かん」は黒豆と寒天に黒蜜がかかったシンプルな甘味である。さっぱりとした甘みがあった。

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甘味を堪能した後は、浅草演芸ホールで寄席を観ることに。ホールの中は満員で、僕達はホールの脇で立ち見した。落語初心者に寄席はハードルが高い、観ても面白くない、という話も聞く。しかし意外と面白いね、と言い合った。どれも創作落語で、どの落語家だったか、父親が子供にトンチンカンな英語教育をするという噺をして、おはぎを表して発せられた「ナカメシコロモアーン」というフレーズに2人で爆笑してしまった。

「梅むら」から浅草演芸ホールへ至る道に、「ホッピー通り」なる居酒屋が連なった通りがある。「お兄さん、ちょっと入って飲んでって!」とあちこちで女将の客を呼ぶ声が聞こえる。そのエネルギーに溢れた界隈に圧倒されたHは、「ここで飲んでみたいな‥」と言った。僕の予定では、寄席の後は上野の国立科学博物館へ行くことになっていたが、確かにこのホッピー通りには以前から僕も興味を惹かれていた。そうとあればここで飲んでいくか、という話になった。

適当に目をつけた店に入り、ホルモン、牛スジ、マグロのぶつ切り、そしてホッピーをやりながら、2人で話をした。ここでした話が、2日間の中で一番印象深く、面白かったと思う(内容は敢えて割愛する)。しかし、この店のホッピーの“中”の質がかなり悪く、そのうえグラスにたっぷり注がれてくるので、僕は少し気分が悪くなってしまった。

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少し休憩することにして、神保町の喫茶店「さぼうる」へ。神保町はレトロな喫茶店がいくつかあり、少し前にAと「ミロンガ・ヌオーバ」へ行ったのを思い出した。「さぼうる」は特に人気の高い老舗で、2、30分は待たされた。

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コーヒーとミックストーストを注文。ここのミックストーストは死ぬほど美味い。狭い席に通されたが、それを申し訳なく思ったらしく、マスターのイチロウさんからバニラアイスの差し入れがあった。粋なはからいに感謝。

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すっかり日が暮れて20時になった。この日の最後は新宿ゴールデン街で締めることにしていた。小ぢんまりとした店が雑多にひしめき合う、カオスと言うに相応しい飲み屋街だ。Hの好き(だったはず)なドラマ「深夜食堂」の舞台のモデルでもある。この街の雰囲気は是非Hに味わってほしかった。

界隈を歩き回り、「すげぇ街だ」とHが言う。雰囲気の良さそうな店に入り、ちょっとした小料理と、焼酎を貰った。

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店の真ん中に囲炉裏がある、オツな雰囲気の店だった。しかしこの時、ホッピー通りのホッピーが着実に僕の腹をえぐり続けていて、ついに我慢できなくなり、Hを置いて外に出た。近くのコンビニに入り、トイレで盛大に吐いた。

時間は22時半を過ぎていた。「晩白柚東京ツアー」は明日も続く。この夜はゆっくり休んでもらうことにして、新宿駅で解散した。

 

●1月29日(日)

11時過ぎ、新宿駅集合。この日もカレーの腹ごしらえで始まる。新宿のカレー屋といえばここしか無い。新宿3丁目の「草枕」だ。

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玉ねぎをふんだんに使ったカレーである。Hは「こんなカレーがあったなんて‥」と驚愕していた。この日のHは、店を出た後も「昼のカレーの味が忘れられん」と時折呟いていた。

お笑い好きの我々である。昨日に続き、ルミネtheよしもとで漫才を観ることにした。タカアンドトシ、千鳥、ダイノジキングコングなどが出演した。生で見る漫才はテレビと違った独特の臨場感があって良い。僕はフットボールアワーが一番面白かった。

ルミネを出、昨日行くことができなかった国立科学博物館へ。巨大な恐竜の化石やシロナガスクジラの模型など、大きな構造物を見ることをHは好きであるらしく(僕は大きなものは不気味に思えてあまり好きではないが‥)、なかなか楽しんでくれたようだ。17時閉館で、1時間半ほどしか見て回ることができなかったのが残念だった。

昨日に引き続き、浅草へ移動して、Hが行ったことがあるという「神谷バー」を訪れた。この神谷バーは、明治時代にブランデーベースのカクテル「電気ブラン」を初めて出した店として有名だ。メニューには、「デンキブラン」と「電気ブラン(オールド)」がある。

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こちらが最初に注文した「デンキブラン」。アルコール度数は30度。

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そしてこれが「電気ブラン(オールド)」。アルコール度数は40度になる。その度数はさすが、舌が痺れるほどである。

電気ブランで気持ちよく酔った僕達は、休憩がてら喫茶店に入ることに。浅草にもレトロな喫茶店がある。池波正太郎手塚治虫がこよなく愛したという「アンヂェラス」がそれである。

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ダッチコーヒー(水出しコーヒー)と、バタークリームを使ったケーキ「アンヂェラス」を頂いた。

「最後に、背脂がたっぷり入ったラーメンが食べたい‥」とHが言った。Hが探し出した背脂チャッチャ系のラーメン屋「弁慶」へ足を運んだ。

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ここのラーメンはこれでもかというほど背脂がチャッチャされていた。丼ぶりの外側にまで背脂が飛んできている。こんなにパンチの効いたラーメンを食べるのは久々だった。体の中から脂まみれになる心地であった。

浅草から銀座線で上野へ。Hは京浜東北線で品川方面へ戻るので、ここでお別れ。「晩白柚東京ツアー」もいよいよ終わりである。「おつかれでした」と、Hと握手をして別れた。

こうやって腰を据えて東京巡りをしたのは、僕自身初めてだった。東京タワーやスカイツリーをはじめとした主要なランドマークを避けて、僕の趣味を全開にしたおもてなしルートを考えるのは楽しかった。Hの中に数ある東京の思い出の中で、この2日間が特別なものとなってくれたのなら、僕は冥利に尽きると思う。

千里の道も一歩から

年が明けた。

今年は仕事の都合もあって、初めて実家に帰らなかった。元旦を家でだらだらと過ごすのも何かもったいなかったので、昼前から中央線に乗り、飯田橋付近にある「東京大神宮」に行った‥いや、行くのを神社の手前で断念した。神社の敷地を飛び出し、道路に何百メートルも列を成す無数の参拝客。たかが初詣に一体何時間待たなければならないのか。初詣など、いつでもできる‥参拝客の列を前に、僕は飯田橋駅へ引き返した。

それから上野へ移動して、上野の森美術館でやっている「デトロイト美術館展」を観た。印象派、ポスト印象派のほか、20世紀に活躍したドイツ・フランスの画家達の作品を一同に観ることができるという貴重な機会である。僕はルノワール目当てで行ったのだが、2、3点の展示だったのが少し残念だった。ピカソマティスをはじめとした20世紀の画家達の前衛的な作品は、僕はあまり理解できず、終盤は眠りこけながら美術館を後にした。

 

元旦のことはさておき、2017年である。

これから2017年という1年間、20代最後の29歳を生き、最後の最後に30歳になって1年を終える。二度と戻ってこない、重く、尊い1年だ。昨夜、イエモンが初めて紅白歌合戦に出場するというので、普段紅白など見ない僕も、テレビの前に正座して(?)曲を聴いた。その曲は「JAM」であった。吉井和哉がJAMを作ったのは29歳の時である。彼と今の自分を比べてしまって、何ら成し遂げていない自分が浮き彫りになって歯がゆい。せめて、自分が成したいと思っていることを成さなければ。

ここに、2017年の目標を挙げる。

●英語を話す力を向上させる。

・そのために、必ず毎日何かしら英語の教材を勉強する。

TOEICで少なくとも730点以上を取る。但し受験一発目で730点を取るのは不可能なので、3月にとりあえず受験して自分の現状を確かめ、東京を去る(と思われる)6月末の回で600点超えを目指す。最終的に12月の回で730点以上を取る。

・盆休みを利用して、フィリピン・セブ島へ短期語学留学をする。

●現在25%近くある体脂肪率(はっきり言って異常である)を15%程度にする。食生活に気をつけ、暴飲暴食を避け、必ず週に一度運動を行う。

●九州へ戻った暁には、電子ピアノを買い、毎日ピアノの練習をする。

千里の道も一歩から、着実に一歩を踏み締めれば物事を成すことができるはずだし、その一歩を疎かにすれば必ず失敗する。1月は早速、怒涛の繁忙期になるので、毎日成すべきことができないかもしれない。それでも、この日記を書いたことを常に思い出して、自分を戒めていこう。

メカラウロコ

友人Fと、日本武道館で行われたTHE YELLOW MONKEYのライブ「メカラ ウロコ・27」に行ってきた。

申年である2016年は、イエモンの再結成に沸いた年だった。忙殺されて、再結成について日記に書くことは一度もなかったが‥。夏前だっただろうか、再結成ライブが代々木体育館で行われ、これは行かなければと僕も申し込んだが、抽選に漏れてしまった。今回の武道館は僕にとって初めてのイエモンのライブになる(ついでに書くと、武道館を訪れるのもこれが初めてであった)。

再結成には賛否両論あると思う。僕自身、イエモンにはたくさんの思い出があるとともに、解散によってイエモンは終わったものと整理していた。年をとった彼らでは、絶頂期の彼らを超える曲を作ることはできないのではないかと思うし、再結成は彼らの過去を汚すような気もした。

しかし、10月に発表された新曲「砂の塔」は、やはり良い曲だ。これから彼らが作り出す新しい曲をもっと聞いてみたいと思う。今回の武道館も、若い時のような声は出ていないものの、エネルギーに溢れた素晴らしいステージだった。

来年は東京ドームでライブを行うらしい。僕が東京にいる間に実現するだろうか。これからの彼らに注目したい。

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湯けむりにふすぼりもせぬ月の貌

12月17-18日、草津温泉へ行ってきた。半年振りの一人旅である。

昼過ぎ、新宿駅で駅弁を買った後、埼京線赤羽駅へ。赤羽から特急「草津」に乗って約2時間半。草津温泉の最寄駅、長野原草津口駅に着く。途中まで北陸新幹線を使う手もあったが、僕はそれを選ばなかった。

僕は特急が好きだ。特急の車窓はバカでかく、幅が1m以上もある。通り過ぎる景色を見てくれと言わんばかりだ。縦横数十cmしかない新幹線との窓とは大きく違っている。流れる景色は、当然美しいものばかりではなく、単なる住宅街だったりすることも多い。そんな景色とも言えない景色を、酒でも飲んでぼんやり眺めるのが好きなのである。

また、特急は車内放送も良い。発車時や駅に着いた時などに流れるチャイムは、新幹線だとTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」や山口百恵の「いい日旅立ち」が使われているが(聞き飽きた)、特急は何とも言えない曲がオルゴールのように流れ、哀愁を誘う。あのオルゴールを旅先で聞くと、一人遠くへ来たなあ‥としみじみとした淋しさ混じりの気分になるのである。

草津温泉は中心地に大規模な湯畑があり、ランドマークの一つになっている。草津温泉といえば、日本一を争う温泉街の一つだろう。江戸時代には林羅山が三名泉の一つとして紹介したほどである。その勢いはさすが、湯畑のまわりは多くの観光客で賑わっていた。地面のあちこちから湯けむりが上がり、硫黄の匂いが立ち込めていた。

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草津温泉には、地元住民も利用するという、古くから親しまれてきた共同浴場が数か所存在していて、草津へ来たからには共同浴場にも足を運んでみようと決めていた。が、「大滝乃湯」という看板が目に止まり、とりあえずここに行ってみることにした。ここは率直に言ってスーパー銭湯のようなものだった。

大滝乃湯でひとっ風呂浴び、草津を散策していると、早くも日が暮れてきた。

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17時半、宿に到着。この宿は50年以上前に建てられた、かなり年季の入ったものらしいが、随所がリフォームされており、掃除も行き届いていて非常に居心地が良かった。自分の部屋で食事ができるのも何か新鮮だった。

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翌朝は9時に宿を出発し、「熱の湯」で「湯もみ」のショーを観た。「湯もみ」は、高温のお湯を水を使わずに冷ますために編み出された手法。湯もみを見ていると、草津が単なる娯楽的温泉街ではなく、湯治の街だったのだと気付かされる。

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熱の湯で湯もみショーを観た後、隣の共同浴場「白旗の湯」を訪れた。洗い場などは無い。無骨に湯船があるだけだ。僕の他にも数人が入ってきて、お湯のあまりの熱さに誰しもが「あっつっ!!」と声を上げていた。

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最後に、Aにお勧めされた「西の河原露天風呂」へ。この露天風呂は、湯畑から西方に広がる「西の河原公園」の奥にある。公園を流れる川は温泉であり、あちこちから湯気が上がっている。温泉地ならではの不思議な光景が広がっていた。

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昼過ぎ、特急「草津」で東京へ戻った。源頼朝田中角栄竹久夢二‥数多くの著名人が草津温泉を訪れた。彼らに交じって自分も草津を訪れたのだと思うと、何か不思議な気分である。