Hの結婚(完結編)

後の記事にも書くが、今この記事を書いているのは2014年8月21日である。
非常に記憶が曖昧になってきているが、書かないわけにはいかないので、書いていく。

4/26(土)は、親友Hの結婚式であった。
Hの結婚については、これまで2013/11/10、2014/3/2の日記にも書いたとおり。Iさんとの10年来の出会いが、こうして結婚という実を結んだのである。

Hからは、昨年末に飲んだ辺りから、春に結婚式を行う予定であること、その場で僕に友人代表スピーチをやってほしいことを聞かされていた。Hには他にも親友と呼べる友達がいるだろうが、少なくとも自分もHと長い付き合いだし、なんとなく「俺がやらずして誰が‥」という「義務感」のようなものすらあった。
ただ、Hには言えないが、結婚式1週間前まで全くスピーチの内容を考えなかった。正直に言って1%すら考えていない。4/21(月)にようやく腰を上げた。
僕は極端にあがり症である。見知らぬ人達の前に立つと、頭が真っ白になり、冷や汗が溢れ、足がガクガクと震えてくる。そんな状況下、スピーチを暗記して朗読など不可能に思えた。そこで、「結婚するHへ」と題して手紙を書き、それを読むことにした。それが21日である。
21日、仕事の昼休み中に虎ノ門の文房具屋へ出向き、便箋と封筒を買った。夜、早速Hへのメッセージを練った。しかしこれが全く悩まなかった。結婚式まであと1週間しかないが、僕には何の焦りもなく、Hとの思い出、Hへのメッセージがすらすらと思い浮かんだ。僕はそれらを無造作にメモしながら、約5分のスピーチに構成しなおした。
それから結婚式までの5日間の間に、父に内容を見てもらったりもしたが、あくまでも気休めである。自らの推敲だけを頼った。Hに言いたいことは、自分で考える他ないからだ。そうしてHへの手紙は完成した。

また、余談だが、結婚式を前に礼服や諸々のアクセサリーを揃えた。4/12〜の土日はちょくちょく伊勢丹へ通っていた。友人Fは「ただのスーツでいいだろ」と言っていたが、25を過ぎた大人が礼服を持ち合わせていないのも何か悲しかったので、礼服・ドレスシャツ・革靴・カフスボタン伊勢丹で買った。更に、10年前から持っているSWATCHを結婚式に着けていくわけにもいかなかったので、3/23の日記にも書いているように腕時計を買うことを決めた。品物はHAMILTON「JazzMaster Seaview CHRONO」で、OMEGAのシーマスターよろしくダイバーズウォッチである。非常にカッコ良く気に入っている。しかし、お金がバカのように飛んでしまった。

当日26日は、福岡市・姪浜の結婚式場で朝9時半から受付開始だった。僕はFと共に福岡へ向かうことにしていたが、何分朝9時半ともなると、羽田初の飛行機に始発も始発で乗らなければならない。そこで我々は、羽田空港に朝6時に集合し、6:40の便で福岡へ出発、8時過ぎに福岡へ到着した。ちなみに僕は、前日25日に仕事から帰ってきたのが遅かったため、寝ないまま夜通し準備し、朝4時半に自宅を出た。徹夜で結婚式に臨むことになってしまった。
飛行機の中では、僕はひたすらHへの手紙を小声で朗読していた。隣に座っていたFが、あまりにも緊張している僕を見て「おい、本当に大丈夫か?」とかなり心配そうに呟いていた。

結婚式場に到着すると、HやIさんの友達と見られる懐かしい面々が集まっていた。程なくして、高校3年生時にH・僕・FとよくつるんでいたMが合流し、「いよいよHも結婚か‥」としみじみと思いを馳せた。
式は10時からチャペルで開かれた後、11時半頃から披露宴に移行した。式ではH、Iさんともに非常に大人びて見えた。

披露宴では、開始とともに係員が「本日、スピーチを行っていただく方ですね?」と近寄ってきて、色々と段取りをレクチャーされた。僕の出番はかなり早く、Hの職場での上司の方の挨拶等が終わった後、割とすぐの出番であった。
スピーチはとにかく足が震えた印象しかない。しまいには「私、非常にあがり症でして。今も、足が震えてます」と足を指差す勢いであった。しかしそれでもなんとか必死に手紙を読んだ。心の中では、あがっている自分が本当に格好悪くて仕方なかったが、それでもHならこの思いがわかってくれるだろう、というただそれだけの思いだった。

スピーチを終え、Hの職場の友人達の余興に移ったので、失礼だが僕は別に見なくてもいいかと、外で煙草を吸っていた。するとHのお兄さんがやってきて、2人で様々なお話をした。お兄さんは、この結婚式に至るまで、少々紆余曲折があったことを呟いていた(それは僕も知ってはいたが)。そして、Hの性格を赤裸々(?)に語りながら「弟がこんなに慕われてるなんてね‥」と仰っていた。僕が友人から見たHの姿をお話すると、非常に驚いていらっしゃった。

その後、式は親御さんの挨拶や当人達の挨拶に移っていった。近頃僕は本当に涙もろく、最後にHが挨拶の言葉を述べていた時には、やはり涙が出てしまった。

それから大名・赤坂の店に移動し、15時過ぎから2次会が始まった。Hの職場の同僚達が多く集まっていて、正直なところ僕やF、Mはアウェイな気もしたが、隅っこでしっぽりと飲んでいた。この2次会では、Hが大学時代に組んでいたバンド仲間が再び集まって、Iさんのために曲を披露する、という催しがあった。僕はそれを遠くから眺めていて、本当に幸せそうだなあ、と羨ましく感じた。

3次会が有志で開かれたようだが、僕とF、Mは若干アウェイだったのでその場を後にした。FとMは中洲へ繰り出したが、僕は徹夜だったこともあって、ホテルで爆睡してしまった。翌日、福岡空港で3人で飯を食った後、Mは熊本へ戻り、僕はFと羽田への帰路へ着いた。

高校時代からの見てきた何かが花を咲かせて、一つの区切りのように感じた。少し寂しくもある。Hには、新たなステージで、たくさんの幸せを見つけてもらいたい。